サークル退会者の自分語り

Twitter(@tai_kai_sha)(@taikai_sha)

受験生みたいな生き方を続けていたら限界がきてしまった

 

先週、ブログでレポートが手につかないと書いていたが、今も全く状況は変わらない。この間の進捗はゼロだ。一体どうしてこんなことになったんだろう。

 

その原因について考えるには、浪人時代まで遡らないといけない。受験勉強中の思考は今の僕に大きな影響を与えているからだ。受験勉強は全身全霊をかけた戦いだ。どうやって勝ち抜くか真剣に考える分、その時考えたことが将来に与える影響は当然大きくなる。

 

さて、当時、僕が苦労して身につけた「受験適応的生き方」とはなんだろうか。その特徴をここでまとめておく。

 

①常に人生は死と隣り合わせ
②人生を無期限の苦しみと捉える
③常に課題と向き合わなくてはいけない
④常に他者に対して責務を負っている

 

①について

当時の僕は希死念慮が強かったから、受験に成功するか死かという世界で生きてきた。そうでもしないと勉強に迎えなかったのだろう。ところが、受験時代でやめておけばいいのに、大学入学後も、課題達成か死か、という二択しか許されない人生観をそのまま持ってきてしまった。「死ぬ気でやれよ。死なないから。」という有名な言葉があるが、別に死ぬ気でやったところで、ものすごい努力ができるわけではない。僕の場合、残ったのは、ろくに本も読めずレポートも書けない磨り減ったメンタルだけだった。

 

②について
ところで、受験勉強の苦しみには大いに無期限性がある。どこまで勉強すれば合格できるか不確定で、受験生は常にレベルアップすることを迫られるからだ。「ここまで勉強すれば今日は十分」といった有限性は自分で恣意的に決めるしかない。恣意的に制限を決める作業がとにかく下手な僕にとって、受験勉強は無期限の苦しみに他ならなかった。無期限性を認めた上で受験勉強を戦い抜くために、「受験適応的生き方」が必要だったのだ。ところが僕は、大学生活にも、将来独り立ちするという目的のために、無期限の苦しみの感覚を持ってきてしまった。将来のためには常に有意義なことをしなければならず、無意味なことをしてはいけないという強い観念に縛られている。ネットサーフィンやゲームをしたいという欲望を常に抑えることはできない。そのために度々堰を切ったようにネットサーフィンやゲームに興じることがあり、その時間は増える一方だ。無意味な行為をしている自分というのを認めることができないので、そうした行為をすればするほど、希死念慮がますます酷くなっていく。

 

③について
受験期は学力向上という課題があり、それに取り組むことが常に必要とされていた。大学入学後も、やはりアカデミックな知識の学習が必要とされ、受験期と状況的にはあまり変わらなかった。周りの学生が熱心に勉強を続ける中で、レースについて行けなくなった僕は、すっかり置いていかれてしまった。もうどうやっても追いつくことができないという諦念に支配され、自分を責め続ける日々。いつになったらこの苦しみから解放されるのだろうか。

 

④について
僕は親の存在を支えに受験を戦った。他者性の重要性に受験を通して気づいたのだ。他者のためという理由があると、義務を頑張ってこなすことができる。だから入学以降は、何か課題が与えられるたびに他者のためという目的を無理やり作り出した。学力の向上は早い自立を望むのは親のため、退会者の会を立ち上げたのも人のためになる活動をしたかったからという理由が大きい。だが、他者への貢献で自らの価値を保障しようとしてしまうと、いざ思うようにいかなかった時に自らの命に価値がないと強く感じるようになってしまう。貢献か死かという二択しか許されていないのだ。

 

 

「受験適応的生き方」と名付けてここまで僕の生き方を解説してきたが、どこがまずかったのだろうか。みんなが働くなら勉強するなりしているのは、究極的には生きるためであるし、有意義なことをするに越したことはない。課題から逃げてはそれこそ生きていけないし、他者に対して責任があるのは社会が責任関係で成り立っている以上当然のことだろう。

 

ポイントは、「常に」という言葉である。

 

(参考
①常に人生は死と隣り合わせ
②人生を無期限の苦しみと捉える
③常に課題と向き合わなくてはいけない
④常に他者に対して責務を負っている)

 

課題や他者に対する責務と向き合うことにはかなりのエネルギーが必要だ。常にそんなことをやっていては、どこかで動けなくなるのも当然である。この地獄から逃れるためには、責務に向き合う時間と向き合わない時間で分けなければいけない。

 

責務からの解放とはどんな状態か。それは、無意味で、無為で、戦わなくてよくて、誰かのために何かをする必要のない、そんな時間だ。あるところでは戦わなければならないのは確かだが、そのためには、休むことのできる場所を確保する必要がある。どうすればいいか。

 

テクニカルな解決策だが、戦う時間をあらかじめ決めておくのが一番だろう。この時間からこの時間までは、勉強するというのをしっかり決めれば、無期限性は消失する。これは、受験期にはできなかったことでなかなか難しい。真剣さと適当さ、義務と遊び、これら両極にあるものをはっきりと分けてしまうことが怖い。だが、戦い続けるためにはもう仕方がないのだと思う。修正しながら自分にあったスケジュールの管理法を見つけていきたい。