白水哩と近代の病理

麻雀漫画『咲-Saki-』に、白水哩というキャラが使う"リザベーション"という能力が登場する。

団体戦で、能力者が「○飜で和了る」と心の中で誓約して見事その通りに和了ると、次に打つ相棒が同じ局で倍の飜数の役を必ず和了るようになる、という力だ。白水哩と相棒の鶴田姫子のコンビにしか使えない。

 

今やったことが将来に何倍にもなって返ってくるという、3年間チームをエースとして引っ張ってきた、責任感の強い白水哩にぴったりな能力である。

 

小学校・中学・高校と勉強し続けていい大学、いい企業に入る。これは、近代社会の中間層が理想として掲げてきた人生のあり方だ。ふと思ったことだが、将来のために課題をこなすという点において、白水哩のリザベーションとやっていることはよく似ているのではないだろうか。近代社会では、個人の能力が重視され、より高い社会的地位につくためには、自らの意思で嫌なことでも勉強しなければならない。白水哩がリザベーションを使う際、鎖で縛られているイメージが描かれるが、我々も同じだ。将来のために自らを縛ってここまで生きてきたわけだ。

 

また、約束された飜数を上がるのが姫子という他者であるのも面白い。親の苦労の積み重ねで楽ができる子供にたとえることもできよう。そういえば、"姫"も"子"もどちらも子供を意味する字だ。近代の中間層が理想とした人生観では、勉強していい大学、いい企業を目指すことと、結婚して子供を作ることはセットだった。

 

ところが、今の時代は頑張れば将来いいことがあるということが信じられなくなってきている。誓約通りに満貫を上がったとしても、将来倍満を和了れるとは限らない。現に、一流企業に入ることだけでなく、結婚や子作りも昔より遥かに難しくなっているし、そもそも一流企業のブラック労働や結婚・子作りのリスクが問題になる時代だ。そんなもの信じられるわけがない。

 

一流企業に入り、結婚して子供を産むのが幸せだという価値観を家族や親戚からよく押し付けられるのだが、僕はもうウンザリだ。一流企業なんて別に入りたくないし、結婚もしたくない。それだけが幸福への道と考えられていたパラダイムはもう過ぎ去っている。

 

現在日本のさまざまな社会問題は、どうも僕には、この"リザベーション"が信じられなくなっていることと深く関連しているように思えてならない。どこがどう繋がってそうなっているのかはわからないのだけど。

 

社会や政治は知らないことだらけだ*1。理解を深めるために最近は政治学を勉強したいと思っている。なんもかんも政治が悪い*2ので。

*1:この記事でも随分と雑な議論をしているが、それは僕の知識がないからである。

*2:阿知賀編見て