サークル退会者の自分語り

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ASD当事者の僕が、内海健『自閉症スペクトラムの精神病理』を読みながら回想を書く①(小学校~中学校編)

 僕はASD当事者だ。人間関係や環境に対する適応のできなさに、これまでさんざん悩んできた。苦しいのは確かなはずなのに、なんで苦しいのかがわからない。そんな中、自分の生きづらさについて知るために手に取ったのが、この記事で紹介する、内海健自閉症スペクトラムの精神病理』(以下『精神病理』)である。

 

 ASD者の場合、他者は発達のいずれかの段階で発見するものである*1

 

 本書で一番衝撃を受けたのが、この文だ。今までの人生を振り返って、自分が苦労してきたその原因の何か本質的な部分を言い当てられているように僕には思われた。

 

 他者を発見するということは、他者の志向性に気づくということだ。他者がどんな対象を持ち、何という対象に向かって行為しているのか、そのことがわかるということだ*2。僕は他者というものが何なのか、気づくのに随分時間がかかってしまった。そのことで大いに苦労してきたつもりである。

 

 僕の小学生時代の話をしよう。

 

 当時の僕が属していたグループにはガキ大将がいた。彼は、今から考えるとなかなかすごい人物だった。毎日遊んでいたが、彼はいつも自分で遊びを考え、みなへの気配りも非常に上手い。グループを見事にまとめていた。そのカリスマ性からか、彼はグループ内で圧倒的な権力を持った。彼の希望(ときには命令のような形を取ることもあった)は、ほとんどの場合叶えられたのである。

 

 僕は何の疑問も持たずに彼の指示にはいつも従っていたのを覚えている。

 

 ASD者の自他の区別が未分という特徴は、まさにこのときの僕に当てはまるだろう*3。彼の希望は僕の希望であり、彼と遊んでいる間、僕の世界は、彼の世界と一体となっていた。彼と遊んでいた記憶は今ではほとんど思い出せない。だが、ある出来事だけは強烈に僕の脳内に刻まれている。それは、彼と一体になって遊んだ日々ではない。彼の志向性と僕の志向性が衝突した瞬間である。

 

 当時、僕は中学受験のために勉強していた。中高一貫校に入学すると、当然、彼らグループのみんなとは別の中学になる。いつかは彼に別れを切り出さなければならない。僕はきっと、少しどもりながら、ためらうような様子で打ち明けたのだろう。

 

 彼は、僕に中学受験をやめてくれと強く求めた。おそらく、彼は僕のことが好きで、一緒にいたくてそう言ったのだろう。だが僕はこのときばかりは、彼の言に従うことができなかった。反抗は彼の世界との同一性の破壊を意味する。同じ世界に居たはずの彼と自分がはっきり分かれた瞬間だった。自他の分離は、他者の志向性によって起こるという*4。僕と彼を隔てたのも、彼が僕に向けた志向性であった。

 

 その後、僕は彼のやることなすことがどうにも気に入らなくなった。自分と彼がはっきりと分断されたためである。自分の世界ではないとしか言いようのない違和感がつねにつきまとう。これまで自明だった彼の支配への不満の受け皿になった言葉が「いじめ」だった。

 

 『精神病理』には、ASD者が理念形成につまずくさまが説明されている*5。何度いじめられても、自分の経験を束ねて「これはいじめだ」という認知にたどり着かない。ASD者の認知は、<いま、ここ>で飽和している*6。遊ぶときに、ガキ大将の彼と一体になってしまい、それ以外の視点がなかったように。個々の経験にとらわれて、自分の苦しみをうまく言葉にまとめることができないのだ。

 

 僕が「いじめ」という概念にたどり着けたのは、志向性によって彼が他者であることに気づき彼と自己を切り離せたからである。では、その後どうなったか。

 

 自他の区別を理解していない僕にとってもはや他者となった彼は自分の世界(=現実世界すべて)に入り込んだ異物に他ならなかった。僕にとって他者の志向性は排除すべきものだったのだ。

 

 僕は彼を「いじめ」の罪で糾弾し、自分から遠ざけることに成功した。だが、彼を排除することで、自分の世界に異物が現れることがなくなるわけではない。むしろ中学に入ると、他者と衝突することが頻発するようになった。そのたびに、僕が武器にしたのが「いじめ」という言葉だ。僕にとって「いじめ」という概念は、ガキ大将の彼の最初のいじめの時のイメージで出来ていた。自分を不快にさせる他者の志向性を指していじめという言葉を使ったのである。当時は、他者の志向性に傷つけられるたびに「いじめ」を親や教師に訴えて解決していた。まさに原点固着だ。

 

 ASD者は、獲得したものが、最初の場面と密接に結びつく傾向がある*7。たとえば、「犬」という言葉を覚えるとき、最初の犬のイメージに固執して、見た目が違う犬を見ても「あれも犬」とはならない*8。これを原点固着という。ASDは理念形成に難がある分、硬直した使い方をする。『精神病理』には、遅刻をとがめられてハラスメントだと非難するという例が載っているが、僕のケースと似ていないだろうか*9

 

 ここまで、僕の小学生時代から中学生時代までを振り返ってきた。次回は高校~大学編を書くつもりだ。なぜ僕がツイッターにのめり込んでいったのかを大きなテーマにするつもりである。

 

続編↓

 

nakanoazusa.hatenablog.com

 

*1:29ページ

*2:30ページ参照

*3:58ページ参照

*4:62ページから始まる節「他者は志向性を軸にまとまりあがる」を参照。書き方を変えてある。

*5:9章参照

*6:83ページから始まる節「みえているものがすべて」参照

*7:173-174ページ参照

*8:189-192ページ参照

*9:236ページ参照