最近はフランクフルト学派まわりの本を真面目に読むぞ! という気持ちになっている。マルクーゼとかアドルノとか読みたい。つーかフランツ・ファノンとか読みたい。全然フランクフルト学派ではないが。読んだらダメかなあ。
しかしまずその前にまどマギの映画を観に行くから叛逆を見返さないと。あれこそ日本人の……。いかんいかん、こういうところで日本人の……と言ってしまう癖はやめないといけない。僕はさやかちゃんが好きだった。
最近はフランクフルト学派まわりの本を真面目に読むぞ! という気持ちになっている。マルクーゼとかアドルノとか読みたい。つーかフランツ・ファノンとか読みたい。全然フランクフルト学派ではないが。読んだらダメかなあ。
しかしまずその前にまどマギの映画を観に行くから叛逆を見返さないと。あれこそ日本人の……。いかんいかん、こういうところで日本人の……と言ってしまう癖はやめないといけない。僕はさやかちゃんが好きだった。
今週、会社で辞めた人があった。
哲学の勉強に専念するためだという。
こういうのを聞くと、素直にいいなあ、って思う。成果成果で仕事をやってる人よりもずっとよい。
反日亡国病であれば、半ばポルポト的な反インテリ的な思想もあり、目くじらを立ててしまうのかもしれないけど、今の僕はもはや反日亡国病などではない。普通に左翼をやっていきたい。
ここ二週間ほどあまりブログが書けなかった。
この間に起こった変化といえば、反日亡国病が治ってきたかもしれない、ということだろうか。あんなことで苦しんでいても意味はないということを、はっきり気づけた。
良い心を、取り戻したい。
『敗戦後論』について。批判している人も言いたいことはわかるが、僕はどうにも加藤典洋を非難する気は起きない。
真面目に日本の戦争責任について考えた時に、日本人という主体をでっち上げることは避けられない。それをでっち上げだと、ナショナリズムだと言う人は、そもそも日本の戦争責任などという話題に踏み込む前に立ち止まって考えて欲しいと思う。
我々は日本人としての主体を引き受け、ただただこうべを垂れるしかないと僕などは思うのだけども、一方で『敗戦後論』に慰められた自分がいるのは事実だ。加藤典洋の言葉に耳あたりのよさがあるのもまた本当だとも思うけれども、それに助けられたのは確かなのだ。
加藤典洋への非難を聞いていると自分が責められているようで辛くなる。もうやめてくれ。彼ら彼女らにはこう言いたい。
あなたは本当にちゃんと戦争責任を背負えてますか。まっとうに生きてるんですか。そんなに潔癖なんですか。逃げてないんですか。
逆ギレだ。僕は弱い。
今日は交際相手と幸福な時間を過ごしたが、やはり好きな人のためにも、もっとまともになるぞ! と思った。
大学を出てからは常時心を病んでいる状態であったと言ってよいと思う。むろんいろいろな必要があって病気をやっていた(自己治療仮説みたいな話である)のだが、そろそろ治す方向に舵を切らないとダメだなと思う。必要以上に自分を虐めるのはやめよう。活動をするにせよ、健康に活動をしよう。
幾度となく同じような決意はしてきたけども、今度こそ成功させるぞ!
つい発狂したブログを書いてしまった。
それにしても逃げ場のなさを感じる。
とにかく何をするにも金がいる世界なのだから金は稼がないといけない。で、福祉で金を稼ごうと思うと、弱者を助けながら利潤を追い求めるという、矛盾する二者を追いかける事態になる。もちろん単純なゼロサムではないだろうが、そういう構造はあると思う。
そう思うと資本主義が憎くて憎くてたまらなくなる。資本主義さえなければ、みんな、人を騙して金を奪うことを考えずに済む。人に騙されないように気にしなくて済む。
資本主義の廃止への道はあまりにも遠い。結局、誰を騙すかでしかないなら、弱い人を騙すよりかは今の仕事に居続けるのがベターということになる。
いっそ頑張って弁護士になって国選弁護人だけやりたい。しかし、それもまた逃げているような気がする。逃げ場がない。