サークル退会者の自分語り

Twitter(@tai_kai_sha)(@taikai_sha)

ホリィ・センに勝ちたかった

※これはサークルクラッシュ同好会の新歓リレーブログ企画13日目(4月25日)の記事です。

 

文:ちろきしん(@taikai_sha)

 

 現時刻は4月26日午前0時32分。やってしまった。ものの見事に締め切りを落としてしまった。締め切り破りがどんなに迷惑かわかっていたはずなのに*1。今頃、担当者はさぞかし気を揉んでいることだろう。一刻も早く完成させなければいけない。ところで、そもそもここに何を書けばいいんだろう。書くことはいっぱいあるはずなのに、いざ書こうとするとどれも違和感がある。そうこうして、取りかかれないままに締め切りを過ぎてしまったのだった。

 

 テーマを見ると、①あなたにとってサークルクラッシュ同好会とは?②自分語り、とある。まあ、適当にサークラの話も交えて自分語りをすれば満点回答だろう。となると、僕の大学生活に焦点が絞られてくる。

 

 京大に入学したのは二年前。何もかもが新鮮で、京都での一人暮らしにわくわくで心が満たされていた。当時はピュアな一年生だったから、熊野寮中核派はもちろん、サークルクラッシュ同好会とかいう怪しげな名前の団体も怖かった。構内で見つけたビラによると、何でも会長が会員を洗脳している危ないサークルなのだという。一年先に京大に入った友達が、サークルクラッシュ同好会に行ったところ、友達って何だろう、という話をして終わったらしい。悪質な団体の香りがプンプンする*2。僕は友達がサークルクラッシュ同好会などといういかにも怪しげな悪質な団体に洗脳されていないか本気で心配していた。こんな調子で、京大の学生環境というのがまるでわかってなかったから、のんきに奢ってくれるサークルの新歓にばかり行っていた。本当に愚かな行為だ。そういえば、奢りがあるか聞いて奢らないって言われたから行かなかったサークルが一個だけあったな。漫トロピーっていうオタサーで、僕は結局その年一度も新歓に行くことはなかった*3オタサーに入らなかったのはオタクを辞めて“普通”になりたかったからだ。

 

 大体その“普通”なんていうのが実にふわふわした概念で、何の思想もないものだったもんだから、入るサークルもそんな調子のゆるふわサークルになった。いや~見事に馴染めなかったね。アニメ漫画野球と学問の話しかできないもんだから、二時間のアフターは毎回相づちだけ打って終わったのを覚えている。それでも、途中からでも入れるサークルがあるなんて知らないし、他に居場所もないもんだから、そのままずるずると居続けるしかない。そんなことを続けていたら限界が来るわけで。一度行けなくなると、行こう行こうと思ってもどうしてもサークルに行くことができなかった。サークルがなかったら人と触れあう時間が一気に減ってしまう。どうしようかすっかり途方に暮れていた。もしこのときサークラに入ってたら、今頃は運営の中心にいたかもね。かしぱんさんの後を継いで会長になってた、というのはさすがに思い上がりだろう。でも、そうはならなかった。

 

 

 

 サークル退会者の会。これが今僕が運営しているサークルだ。何のことはない。サークルクラッシュ同好会の活動内容をパクった団体である。サークラとの出会いは、団体を作ってTwitterで宣伝していたところ、ホリィ・センにレスポンスをもらって会いに行ったのが始まりだった。サークルの骨子もホリィ・センやダブル手帳さん(@double_techou)に教えてもらいながら練り上げた。今でもなんとか活動は続いているし、まあまあうまく行っているのでないかと思う。ボードゲーム当事者研究会をやるサークラモデルは有用だ。

 

 パクったとはいえサークラとは別団体なので、別の色を出していかなければいけない。が、大きな問題が出てきた。僕がホリィ・センの影響を受けすぎたのだ。入学当初に見たサークラの会長が洗脳してくるという謎のビラに書いてあったことはどうやら本当だったらしい。その後の僕は漫トロピーに入ってホリィ・センの8代後の会長になってしまったし、社会学専修を選んでしまったし、あれよあれよという間に完全にホリィ・センの下位互換になってしまった。僕の知り合いはみんな本当はそう思ってるんじゃないか?僕だって漫トロに入るときも、社会学を選ぶときも、ホリィ・センと同じじゃん、やだな…と思っていた。けれどもこれ以外のしっくりくる選択肢がどこにもなかったのだからどうしようもなかったんだ。

 

 ホリィ・センは僕の得意なことは何でも僕よりうまくできる。サークルの運営や司会進行だってスムーズにこなせるし、学問の知識も漫画やアニメの知識もはるかに上だ。このホリィ・センの足下にも及ばない駄文を見てほしい。まず第一に構成。この文章は「退会者の会創設前日譚編」と「ホリィ・セン嫉妬編」に分かれているのだが、この二編の接続があまりにもお粗末で見苦しい。表現力も乏しく、文体も安定しておらず読みにくい。ホリィ・センはこんな文章書かないよ。そもそも、〆切だって落とさないに違いない。

 

 いや、そりゃあ、学部3年の僕が大学に10年いる人に勝てるわけがないというのはわかるよ。それでも人の下位互換は嫌だ。何一つ打ち込んでこなかった今までの空虚な人生がこれほど恨めしいなんて。

 

 書いてる内にすっかり感情が高ぶってしまった。言ってもしょうがないのでもうこの話はやめよう。もう僕も最近は長い独り相撲に疲れてしまった。なんだか急に眠くなってきたな。今日はこの辺でやめておこうか。

 

本当に雑に書いてしまった。マジで申し訳ない。明日のゆーれいさんは僕の百倍面白い文章を書いてくれます。ぜひ見てね。

*1:僕は漫トロピーで会誌の編集経験がある。そういえばこの前の会誌の入稿の日、ある会員が寄稿の締め切りを大きくオーバーして数時間待たされたことがあった。勘弁してくれ。

*2:当事者研究会はこの手の誤解を本当に受けやすい。どうすればうまくアピールできるか考えるのは僕にとっても重要な課題だ。

*3:後で聞いたら、感じ悪かったらしい。そりゃそうだよね。

義務感総量一定説

 先日参加した当事者研究で、「漫トロピー(漫画評論サークル)に入ってから漫画が読めなくなった」という話をした。義務が生じた途端、漫画を純粋に楽しんで読めなくなったのだ。この現象は、多くの漫トロピー会員に共通しているらしい。どうやら、義務感と楽しさには負の相関があるようだ。僕の場合、同じようなケースは漫画以外にもある。

 

 大学に入ってから学術書・教養書が読めなくなったのだ。漫画の場合と同じ義務感がもたらす「症状」だろう。さて、こうした義務感を伴う作業とどう向き合っていけばよいのだろうか。それを考えるために、義務感に負けずに作業ができる時はどんな時か、逆に義務感に押しつぶされて作業が完遂できない時は何が原因でそうなったのか分析してみたい。

 

 大学当初の僕は勉強しなかった。おそらく突然生じた「大学の勉強」の義務に戸惑ったためだろう。だが、1回後期にもなるとそれにも慣れ、ともに勉強する友人にも恵まれて勉強に熱を入れるようになる。義務をこなせるようになったのである。だが、そのことと同時並行で起こったことがある。単位を落とし始めたのだ。グラフにしてみるとわかりやすいだろう。

 

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 授業以外での義務の項は、大変だった順に並べると2回後期>1回後期>2回前期>1回前期となると思われるため、それぞれ30、20、10、0とした。明らかな相関があるのがわかるはずだ。なお、2回前期の取得単位数、義務の量がともに落ちていたのは、春休みに大変な義務をこなした影響と考えられる。

 

 以上の結果から、僕は「義務総量一定説」を提唱したい。時間ごとにこなせる義務の量は一定であるという仮説だ。決められた量以上の義務をこなすと精神状態の悪化を招いてしまう。義務が精神状態を決める重要な要素になっているのは間違いない。

 

 ここでは義務と言ったが、本質的に重要なのは義務感の方だろう。一番取得単位数が小さい2回後期には、1月初めから単位を取るためのレポートを書こうと考え続けていたにもかかわらず(いやだからこそ)、レポートが書けないままどんどん精神状態を悪化させていった。僕に本当に必要だったのは義務感を持ち続けることではなく、義務感から自分を一度解放してあげることだったのではないかと考えている。ここでも、「義務総量仮説」は適用できる。いや、「義務感総量一定説」と言い換えた方がいいだろう。義務をこなせなくなったときは、時間ごとの義務感の総量を下げるべきなのである。

 

おわりに

 これはあくまで僕個人についての当事者研究だ。他の人にも「義務感総量一定説」が適用できるとは現時点では判断できない。「私も同じ」「いや自分は違う」などの感想があったらぜひ聞かせてください。

ASD当事者の僕が、内海健『自閉症スペクトラムの精神病理』を読みながら回想を書く②(高校編/ツイッター編)

 

nakanoazusa.hatenablog.com

 前編↑

 

 高校時代の僕はツイッター一色だった。特に高1から高2にかけてのハマり具合は酷い。授業中も隙さえあればツイッター。休み時間も家に帰っても本当にずっとツイッターばかりやっていた。

 

 前回の記事で、僕が同質な自分の世界を保つために他者の志向性を排除していった話をしたが、その傾向は高校時代にもそのまま引き継がれた。ただし、ツイッターを舞台にして、である。当時、周囲の世界の他者性はいよいよもって強くなり、現実世界にはどこにも自分の世界(自分と地続きの世界)を見いだすことができなかった。周囲の環境世界は他者性によって完全に占領されていたのである。それでは僕は何をしたか。他者性を受け入れ、適応のための努力をしたのだろうか。違う。僕は現実をまるごと全部否定して逃げたのだ。逃げ込んだ先がツイッターの世界だったわけである。

 

 これから、ツイッターの世界で、僕がどのような体験をしたかを語っていく。だがそのために、まずは、高校に入る前の僕が趣味とどう付き合ってきたかという話をしたい。ASD者が自他未分の世界から自己を分離させようとする際、特定の対象や同じパターンにしがみつく傾向がある*1。同じものの与える安心感や反復のリズムによってそこに固着してしまうという。僕の場合は、この傾向が、中学~高校時代に特に強かった。何か「これが自分は好きなんだ」と確信できるようなものがないと落ち着かず、見つけてはのめり込み、飽きてはまた探す。野球にハマれば、ひいき球団の試合は全試合全時間欠かさずチェックした。漫画にハマれば、あらゆる関連グッズを買い漁り、漫画本編だけでなく資料集も読みあさる。こういった行動は、対象との完全な一体化が目標であって、対象について自分の知らないことがあると、とにかく落ち着かなかった。おそらく定型者と大きく違う点は、対象に飽きると、その瞬間に全くの興味を失ってしまうことだろう。僕が求めているのは自己と同一化した、自他を分離するための核の役割を果たしてくれるものであって、単なる趣味は必要なかったのである。

 

 そんな僕も、やがてアニメ(特に萌えアニメ)の世界を知ると、これまでハマっていたものを全て捨てて没頭していく。「萌えキャラ」文化とASDは非常に相性がいい。かわいいキャラは即物的な快感を与えてくれる。そこでは、ASDが苦手とする状況から離脱して俯瞰して見る能力*2は必要ない。自分とキャラが直接繋がる世界にただ浸っていればよいのである。ところが、ただキャラを即物的に消費しているだけでは、自己の核になりうる対象は見つからない。そこで、しばらくすると、何か中核になるような対象が欲しいと強く思うようになった。

 

 僕に影響したのは、内発的な動機だけではない。この頃、よく見ていた2chのアニメ版では、特定のアニメのファンを長く続けることでマウンティングを取る文化があった。僕はそれを真に受け、アニメのファンたるもの何かのアニメを長く深く愛し続けなければならないと、半ば強迫的に思い詰めるようになった。ASD者にとって、他者は時として全能性を持つ。他者から言われたことが、他者の意見に限定されず、普遍的真理のようなものになるという*3。僕はアニメのファンを続けることを、一つの作品を片時も熱が冷めることがなく強く深く愛し続けることだと解釈していた。そんなことは実際にはほとんど不可能だ。2chでスレに書き込む人々も、今も昔も同じ作品が好きであったのは事実としても、最初の頃の熱情はとうに無くなっているはずである。ところが、当時の僕はそうしたことを考える心の余白がないため、自分もそのような理想的な存在にならなければならないと強く思い込み、あらぬ方向に向けて驀進していった。その果てに見つけたアニメが『ストライクウィッチーズ』だ。僕がツイッターの世界に入った時に属したのも、まさに『ストライクウィッチーズ』愛好者のコミュニティである。

 

 ツイッターも、ASD者と親和性の高い空間である。状況かを俯瞰してみることができないために質問に即応できないASD*4にとって、返信に多少時間がかかってもよいツイッターのリプライによるコミュニケーションは、日常会話よりはるかに適応しやすい。リアルのコミュニケーションでは、他者からの承認を確認するのに、相手の表情を見て、一度状況から離脱した上で想像力を働かせる必要がある。他者の志向性について想像することができなかった僕は、他者が自分のことを好きでいてくれているかどうか、どうしても確信が持てない。一方、ツイッターでは、ふぁぼ(=いいね)やリツイートが付くため、非常にわかりやすい。僕にとって、ツイッターは、リアルの世界では得ることの不可能な他者からの承認が確認できる唯一の場所だったのである。のめり込んだのも当然だろう。加えて、みなが同じものが好きという場所は、それだけで強い結束感がある。イベントに行って実際に会ってみたりして、リアルの世界で強い挫折感を覚えていた*5僕は、ここでなら認めてもらえると安心感を覚えたものだ。僕が初めて他者の承認を実感する体験をしたのは、まぎれもなくツイッターの世界の中であった。

 

 ところが、ツイッターによる自他の分離と自己肯定感の確保の達成が、順調だったのは最初の一年間だけだった。自他分離と承認の核となったアニメ『ストライクウィッチーズ』に飽き始めたからだ。僕は、一つのアニメを変わらない深い愛を注ぎ続けることを自らに課していたが、そんな無理が長く続くはずもなかった。異変に気づいてから半年以上にも及ぶ必死の努力の末、自分がもはや『ストライクウィッチーズ』を愛し続けることができないのだと悟ったとき、自分というものがなくなってしまうような非常に恐ろしい気持ちになったことは今でも忘れられない。最大のトラウマ経験の一つだろう。事実、自己と同一化できる対象を失った後の僕には、無価値感とその裏返しである他者への強い劣等感だけが残った。このときから始まった激しい希死念慮を伴う激しい抑うつは、今に至るまで僕を苦しめている。

 

 高校編/ツイッター編はここで筆を置きたい。次は受験編・大学編だが、十分満足したのでもしかしたら書かないかもしれない。

*1:116ページ参照

*2:163-165ページ参照

*3:243ページ参照

*4:271ページ参照

*5:ASD者は定型者の世界に踏み出すとき、それまで直接的で交感的な世界の中にいた自己の生き方が否定され、孤独感・劣等感・居場所のなさと挫折感を感じるという。当時の僕には急に今までいたのとは別の世界に変貌ように思われ、取り残された感じを強く抱いていた。おそらく、この頃、他者の志向性への気づきを一歩進めたのだろう。ASD者の抑うつについては、222-224ページ参照。

ASD当事者の僕が、内海健『自閉症スペクトラムの精神病理』を読みながら回想を書く①(小学校~中学校編)

 僕はASD当事者だ。人間関係や環境に対する適応のできなさに、これまでさんざん悩んできた。苦しいのは確かなはずなのに、なんで苦しいのかがわからない。そんな中、自分の生きづらさについて知るために手に取ったのが、この記事で紹介する、内海健自閉症スペクトラムの精神病理』(以下『精神病理』)である。

 

 ASD者の場合、他者は発達のいずれかの段階で発見するものである*1

 

 本書で一番衝撃を受けたのが、この文だ。今までの人生を振り返って、自分が苦労してきたその原因の何か本質的な部分を言い当てられているように僕には思われた。

 

 他者を発見するということは、他者の志向性に気づくということだ。他者がどんな対象を持ち、何という対象に向かって行為しているのか、そのことがわかるということだ*2。僕は他者というものが何なのか、気づくのに随分時間がかかってしまった。そのことで大いに苦労してきたつもりである。

 

 僕の小学生時代の話をしよう。

 

 当時の僕が属していたグループにはガキ大将がいた。彼は、今から考えるとなかなかすごい人物だった。毎日遊んでいたが、彼はいつも自分で遊びを考え、みなへの気配りも非常に上手い。グループを見事にまとめていた。そのカリスマ性からか、彼はグループ内で圧倒的な権力を持った。彼の希望(ときには命令のような形を取ることもあった)は、ほとんどの場合叶えられたのである。

 

 僕は何の疑問も持たずに彼の指示にはいつも従っていたのを覚えている。

 

 ASD者の自他の区別が未分という特徴は、まさにこのときの僕に当てはまるだろう*3。彼の希望は僕の希望であり、彼と遊んでいる間、僕の世界は、彼の世界と一体となっていた。彼と遊んでいた記憶は今ではほとんど思い出せない。だが、ある出来事だけは強烈に僕の脳内に刻まれている。それは、彼と一体になって遊んだ日々ではない。彼の志向性と僕の志向性が衝突した瞬間である。

 

 当時、僕は中学受験のために勉強していた。中高一貫校に入学すると、当然、彼らグループのみんなとは別の中学になる。いつかは彼に別れを切り出さなければならない。僕はきっと、少しどもりながら、ためらうような様子で打ち明けたのだろう。

 

 彼は、僕に中学受験をやめてくれと強く求めた。おそらく、彼は僕のことが好きで、一緒にいたくてそう言ったのだろう。だが僕はこのときばかりは、彼の言に従うことができなかった。反抗は彼の世界との同一性の破壊を意味する。同じ世界に居たはずの彼と自分がはっきり分かれた瞬間だった。自他の分離は、他者の志向性によって起こるという*4。僕と彼を隔てたのも、彼が僕に向けた志向性であった。

 

 その後、僕は彼のやることなすことがどうにも気に入らなくなった。自分と彼がはっきりと分断されたためである。自分の世界ではないとしか言いようのない違和感がつねにつきまとう。これまで自明だった彼の支配への不満の受け皿になった言葉が「いじめ」だった。

 

 『精神病理』には、ASD者が理念形成につまずくさまが説明されている*5。何度いじめられても、自分の経験を束ねて「これはいじめだ」という認知にたどり着かない。ASD者の認知は、<いま、ここ>で飽和している*6。遊ぶときに、ガキ大将の彼と一体になってしまい、それ以外の視点がなかったように。個々の経験にとらわれて、自分の苦しみをうまく言葉にまとめることができないのだ。

 

 僕が「いじめ」という概念にたどり着けたのは、志向性によって彼が他者であることに気づき彼と自己を切り離せたからである。では、その後どうなったか。

 

 自他の区別を理解していない僕にとってもはや他者となった彼は自分の世界(=現実世界すべて)に入り込んだ異物に他ならなかった。僕にとって他者の志向性は排除すべきものだったのだ。

 

 僕は彼を「いじめ」の罪で糾弾し、自分から遠ざけることに成功した。だが、彼を排除することで、自分の世界に異物が現れることがなくなるわけではない。むしろ中学に入ると、他者と衝突することが頻発するようになった。そのたびに、僕が武器にしたのが「いじめ」という言葉だ。僕にとって「いじめ」という概念は、ガキ大将の彼の最初のいじめの時のイメージで出来ていた。自分を不快にさせる他者の志向性を指していじめという言葉を使ったのである。当時は、他者の志向性に傷つけられるたびに「いじめ」を親や教師に訴えて解決していた。まさに原点固着だ。

 

 ASD者は、獲得したものが、最初の場面と密接に結びつく傾向がある*7。たとえば、「犬」という言葉を覚えるとき、最初の犬のイメージに固執して、見た目が違う犬を見ても「あれも犬」とはならない*8。これを原点固着という。ASDは理念形成に難がある分、硬直した使い方をする。『精神病理』には、遅刻をとがめられてハラスメントだと非難するという例が載っているが、僕のケースと似ていないだろうか*9

 

 ここまで、僕の小学生時代から中学生時代までを振り返ってきた。次回は高校~大学編を書くつもりだ。なぜ僕がツイッターにのめり込んでいったのかを大きなテーマにするつもりである。

 

続編↓

 

nakanoazusa.hatenablog.com

 

*1:29ページ

*2:30ページ参照

*3:58ページ参照

*4:62ページから始まる節「他者は志向性を軸にまとまりあがる」を参照。書き方を変えてある。

*5:9章参照

*6:83ページから始まる節「みえているものがすべて」参照

*7:173-174ページ参照

*8:189-192ページ参照

*9:236ページ参照

白水哩と近代の病理

麻雀漫画『咲-Saki-』に、白水哩というキャラが使う"リザベーション"という能力が登場する。

団体戦で、能力者が「○飜で和了る」と心の中で誓約して見事その通りに和了ると、次に打つ相棒が同じ局で倍の飜数の役を必ず和了るようになる、という力だ。白水哩と相棒の鶴田姫子のコンビにしか使えない。

 

今やったことが将来に何倍にもなって返ってくるという、3年間チームをエースとして引っ張ってきた、責任感の強い白水哩にぴったりな能力である。

 

小学校・中学・高校と勉強し続けていい大学、いい企業に入る。これは、近代社会の中間層が理想として掲げてきた人生のあり方だ。ふと思ったことだが、将来のために課題をこなすという点において、白水哩のリザベーションとやっていることはよく似ているのではないだろうか。近代社会では、個人の能力が重視され、より高い社会的地位につくためには、自らの意思で嫌なことでも勉強しなければならない。白水哩がリザベーションを使う際、鎖で縛られているイメージが描かれるが、我々も同じだ。将来のために自らを縛ってここまで生きてきたわけだ。

 

また、約束された飜数を上がるのが姫子という他者であるのも面白い。親の苦労の積み重ねで楽ができる子供にたとえることもできよう。そういえば、"姫"も"子"もどちらも子供を意味する字だ。近代の中間層が理想とした人生観では、勉強していい大学、いい企業を目指すことと、結婚して子供を作ることはセットだった。

 

ところが、今の時代は頑張れば将来いいことがあるということが信じられなくなってきている。誓約通りに満貫を上がったとしても、将来倍満を和了れるとは限らない。現に、一流企業に入ることだけでなく、結婚や子作りも昔より遥かに難しくなっているし、そもそも一流企業のブラック労働や結婚・子作りのリスクが問題になる時代だ。そんなもの信じられるわけがない。

 

一流企業に入り、結婚して子供を産むのが幸せだという価値観を家族や親戚からよく押し付けられるのだが、僕はもうウンザリだ。一流企業なんて別に入りたくないし、結婚もしたくない。それだけが幸福への道と考えられていたパラダイムはもう過ぎ去っている。

 

現在日本のさまざまな社会問題は、どうも僕には、この"リザベーション"が信じられなくなっていることと深く関連しているように思えてならない。どこがどう繋がってそうなっているのかはわからないのだけど。

 

社会や政治は知らないことだらけだ*1。理解を深めるために最近は政治学を勉強したいと思っている。なんもかんも政治が悪い*2ので。

*1:この記事でも随分と雑な議論をしているが、それは僕の知識がないからである。

*2:阿知賀編見て

手袋の片方が見つからない

手袋の片方がどうしても見つからない。探す。部屋のどこを探してもない。机の上には食べ終わったヨーグルトのカップがいくつか、置きっ放しになっていた。本と漫画で埋めつくされた床。ベッドの下にもない。だんだん気分が重くなってきた。なんだか吐きそうだ。

 


手袋がないままだったら外出できない。外出ができなかったら授業にもサークルにも出られない。なんで見つからないんだ。これはなんの罰なんだ。僕の人生はただでさえ出遅れている。こんなところで時間を無駄にするわけにはいけない。

 


焦りの内実は次第に変わっていった。どうして昨日は何時間もゲームをしてたんだろう。そういえば今週はやりたいことが何もできてない。そもそも大学に入ってから、僕は何一つ打ち込めるものがなかった。いつも、すぐにでも忘れてしまうようなネット上の文字とばかり戯れている。何一つ自分の中に積み上げることができない。もしかしたら、もう取り返しがつかないところに来ているんじゃないだろうか。

 


手袋を必死で探す。服のポケット。カバンの中。洗濯カゴ。床。床。床。床。もう嫌だった。自分にとって本当に価値のあるものがどうしても見つからない。いつまで僕は探さなきゃいけないんだろう。こんなのは生き地獄だ。逃げなきゃいけない場所なんだ。それなのに、何を諦めればいいのかわからない。僕は探し続けた。

 


結局、手袋はベッドの下の奥、目立たないところで見つかった。多分上から落ちたんだろう。僕の人生みたいだった。僕が見つけなかったら、このままずっとベッドの下でうずくまっていたに違いない。底の見えない絶望感。これからも安らぎを得られないまま生きていくんだろうか。安心できる寝床が欲しい。焦りも不安もない場所。小さい頃は確かにあったはずなんだ。なのに、そんな未来が全然想像できない。自分の力ではどうにも見つけられそうにないのだ。誰か僕を見つけてくれ。ベッドの上に連れ戻してくれ。誰か・・・

受験生みたいな生き方を続けていたら限界がきてしまった

 

先週、ブログでレポートが手につかないと書いていたが、今も全く状況は変わらない。この間の進捗はゼロだ。一体どうしてこんなことになったんだろう。

 

その原因について考えるには、浪人時代まで遡らないといけない。受験勉強中の思考は今の僕に大きな影響を与えているからだ。受験勉強は全身全霊をかけた戦いだ。どうやって勝ち抜くか真剣に考える分、その時考えたことが将来に与える影響は当然大きくなる。

 

さて、当時、僕が苦労して身につけた「受験適応的生き方」とはなんだろうか。その特徴をここでまとめておく。

 

①常に人生は死と隣り合わせ
②人生を無期限の苦しみと捉える
③常に課題と向き合わなくてはいけない
④常に他者に対して責務を負っている

 

①について

当時の僕は希死念慮が強かったから、受験に成功するか死かという世界で生きてきた。そうでもしないと勉強に迎えなかったのだろう。ところが、受験時代でやめておけばいいのに、大学入学後も、課題達成か死か、という二択しか許されない人生観をそのまま持ってきてしまった。「死ぬ気でやれよ。死なないから。」という有名な言葉があるが、別に死ぬ気でやったところで、ものすごい努力ができるわけではない。僕の場合、残ったのは、ろくに本も読めずレポートも書けない磨り減ったメンタルだけだった。

 

②について
ところで、受験勉強の苦しみには大いに無期限性がある。どこまで勉強すれば合格できるか不確定で、受験生は常にレベルアップすることを迫られるからだ。「ここまで勉強すれば今日は十分」といった有限性は自分で恣意的に決めるしかない。恣意的に制限を決める作業がとにかく下手な僕にとって、受験勉強は無期限の苦しみに他ならなかった。無期限性を認めた上で受験勉強を戦い抜くために、「受験適応的生き方」が必要だったのだ。ところが僕は、大学生活にも、将来独り立ちするという目的のために、無期限の苦しみの感覚を持ってきてしまった。将来のためには常に有意義なことをしなければならず、無意味なことをしてはいけないという強い観念に縛られている。ネットサーフィンやゲームをしたいという欲望を常に抑えることはできない。そのために度々堰を切ったようにネットサーフィンやゲームに興じることがあり、その時間は増える一方だ。無意味な行為をしている自分というのを認めることができないので、そうした行為をすればするほど、希死念慮がますます酷くなっていく。

 

③について
受験期は学力向上という課題があり、それに取り組むことが常に必要とされていた。大学入学後も、やはりアカデミックな知識の学習が必要とされ、受験期と状況的にはあまり変わらなかった。周りの学生が熱心に勉強を続ける中で、レースについて行けなくなった僕は、すっかり置いていかれてしまった。もうどうやっても追いつくことができないという諦念に支配され、自分を責め続ける日々。いつになったらこの苦しみから解放されるのだろうか。

 

④について
僕は親の存在を支えに受験を戦った。他者性の重要性に受験を通して気づいたのだ。他者のためという理由があると、義務を頑張ってこなすことができる。だから入学以降は、何か課題が与えられるたびに他者のためという目的を無理やり作り出した。学力の向上は早い自立を望むのは親のため、退会者の会を立ち上げたのも人のためになる活動をしたかったからという理由が大きい。だが、他者への貢献で自らの価値を保障しようとしてしまうと、いざ思うようにいかなかった時に自らの命に価値がないと強く感じるようになってしまう。貢献か死かという二択しか許されていないのだ。

 

 

「受験適応的生き方」と名付けてここまで僕の生き方を解説してきたが、どこがまずかったのだろうか。みんなが働くなら勉強するなりしているのは、究極的には生きるためであるし、有意義なことをするに越したことはない。課題から逃げてはそれこそ生きていけないし、他者に対して責任があるのは社会が責任関係で成り立っている以上当然のことだろう。

 

ポイントは、「常に」という言葉である。

 

(参考
①常に人生は死と隣り合わせ
②人生を無期限の苦しみと捉える
③常に課題と向き合わなくてはいけない
④常に他者に対して責務を負っている)

 

課題や他者に対する責務と向き合うことにはかなりのエネルギーが必要だ。常にそんなことをやっていては、どこかで動けなくなるのも当然である。この地獄から逃れるためには、責務に向き合う時間と向き合わない時間で分けなければいけない。

 

責務からの解放とはどんな状態か。それは、無意味で、無為で、戦わなくてよくて、誰かのために何かをする必要のない、そんな時間だ。あるところでは戦わなければならないのは確かだが、そのためには、休むことのできる場所を確保する必要がある。どうすればいいか。

 

テクニカルな解決策だが、戦う時間をあらかじめ決めておくのが一番だろう。この時間からこの時間までは、勉強するというのをしっかり決めれば、無期限性は消失する。これは、受験期にはできなかったことでなかなか難しい。真剣さと適当さ、義務と遊び、これら両極にあるものをはっきりと分けてしまうことが怖い。だが、戦い続けるためにはもう仕方がないのだと思う。修正しながら自分にあったスケジュールの管理法を見つけていきたい。