20241009

会社にいて思うのが、とにかく儀礼的というか形式を重視するところだ。

 

やたらと敬語や挨拶、マナーにうるさいし、僕なんかは苦手だから常に気を張っている。

 

これがウェーバーのいう形式合理性というやつか、みたいなことを家に帰って文章書いていると思うのだけど、仕事中は必死でそんなことは考えない。

 

別に否定しているわけではなくて、儀礼的なふるまいを強制することが組織の運営に大きな役割を果たしていることは肌感覚としても感じるところだ。儀礼的なふるまいをみんなが完璧に守れば、相互の感情的な対立は極限まで少なくなる。結果としてみんなが効率よく仕事ができるようになるし、辞める人も少なくなるわけだ。

 

しかし、だ。これができない人は生きづらいだろうな、とも思うわけだ。僕も全く例外ではないわけだが……。

 

僕は周囲に合わせて振る舞いを選択するということができないばかりに小中高といじめられてきたが、集団の中で要領よく立ち回れない人は、学校でも会社でもどこに行こうが苦労する羽目になるのだなと思うと理不尽に胸が苦しくなる。

 

ウェーバーによると近代化というのは形式合理性の拡大の過程なのだそうだ(うろ覚えだけど)が、それが正しいとすると近代化が僕たちを苦しめる大きな原因だといえそうだ。さしあたってここ数十年はWeb技術(インターネットって言葉は最近嫌な使われ方をしているから使いません)が近代化の最前線といえそうだ。だから敵のことを学んでなんとか一矢報いなければいけない。

 

とはいうものの、僕がこういうのは、別に本当にそれがやりたくて言ってるわけではない。本当は、会社での居心地をよくするためにITの力を身につけなければいけなくて、でもそんなことのために頑張るというのは格好がつかないから、「企業社会に呑み込まれていませんよ」というポーズをとるために言い訳をしているにすぎない。

 

そうしなければバランスが崩れてしまう。

何かを、捨てなければいけなくなる。

こうするしかない、と、思う。