ミソジニー男の有害性を告発するとあるツイートを見てから心が落ち着かない(いつものことではある)。
僕にはご指摘のミソジニー男と同様の有害性がたぶんにある。自分では傷つけないようにしてるつもりでも抑えがきかないときがある。そして傷つけてしまう。
根っこが攻撃性・有害性のかたまりでいつも必死で押さえつけているのに、どうしてその頑張りを見ようとしないで僕を否定するんだよ。僕は何をしても人より劣っている。それどころか危害を与える存在として見られてもいる。そう感じる。
そう感じるのも自分の加害欲求に対する後ろめたさからなのだが、その他者に対する恨みや蔑視がどこから来ているのかと問われれば自分の劣等感の問題にかえってくる。
僕は今年度で26歳になるらしい。
さて、この年代になると年齢の近い知人が結婚をしていく。
僕も結婚には憧れがあるが、結婚するような人を見ているとみな人間ができていることに気づく。僕はといえばこの歳になっても子供のような他人に甘えた振舞いしかできない。ふと自分を客観視してみると、無理だよなとひとりで納得する。
僕の周りは、みんなすごい能力をもっていて、それでいてちゃんと人付き合いもできる人ばかりなのに、僕には何もない。優れた能力もなければ、大人なふるまいもできない。
かずさ
「気持ちだけじゃ、できないことはある。
あたしはそれを、今までの人生で頑張ってこなかった。
身につけてこなかった。」
うるさい!
お前はピアノが弾けるじゃないか!
そんなに人を想えるだなんて、それだけでも尊いことじゃないか!
でも、俺には何もない。
何かに向ける強い気持ちも、人に誇れるものも、もちろん、生涯を共にしてくれる相手も。
すまない、かずさ。声を荒らげてしまった。
お前だって辛いんだよな。
でも俺だって辛いんだ。
だから人を傷つける。
今みたいに、勝手に恨んで、刃を向ける。
ごめん、俺、かずさと繋がってたときの気持ち、もうわかんねえよ……。