池田屋の高田馬場店に行ってきて胃腸を壊してしまったので、ヤクルト1000を飲もうと思って部屋を探していたら、布団の下でつぶれていた。布団は濡れている。最悪だ。
それはそうと、何やら僕が昔メダリストを批判したとかいう話をホリィ・センがツイートしたら伸びてしまったらしい。
>RT 一緒にゼロ年代研究会をやっているちろきしんが『メダリスト』を連載開始当初からディスっていたのを思い出す。ちろきしんに倣って言うなら、現代における「自己実現」は強迫的なものになっており、自分にとって自己実現だったはずのものは、いつも他人や社会からの目に絡めとられてしまうのだ。
— ホリィ・セン (@holysen) 2025年3月7日
何やらピントのズレた反論をするものもあらわれているようだ。ここで少し僕からも補足しようと思う。
『メダリスト』のことはもう追っていないので知らないし、僕が読んでディスったのも漫トロの会誌(25号)のためだったと思うから、もう五年くらい前のことになると思う。
この頃は、『ラブライブ!』や『メダリスト』のような自己実現系作品が流行っていることにいらついてばかりだった。「夢」とか「やりたいこと」などという人間の内面にかかわるような言葉を使って人を煽って儲けようという連中にほとほと嫌気がさしていたし、何よりそんな空気がアニメや漫画の中にも入り込んできたことが許せなかった。
労働の形態が変化して自己啓発的な考え方が階層を上昇させるうえで重要になってくる。その現実を変えることはもう諦めてもいい。価値のある労働者になるために自ら心のかたちを変えていくという自己啓発の発想は、必ず自分の心のどこかを抑圧することになる。その歪みは誰が受け止めるのか、というのが気になっていた。
だから自己啓発的な発想をまっすぐに称揚するような自己実現系のアニメが流行った時、アニメや漫画が、歪みを癒すどころかむしろ広げるようなことをすることに腹が立った。しかもそれが流行ってるだなんて。自分の心の歪みに鈍感な人や、要領のいい人はなんとかなるかもしれない。でもそうじゃない人は? 僕はアニメという場が彼ら/彼女らを切り捨てたと感じていた。そしてその状況に思い至らない自己実現系作品の支持者にもイラついた。
生きやすい人はますます生きやすく、生きにくい人はますます生きにくくなるような社会に、人のプライベートな内面に深くかかわるようなアニメという場まで加担しているということが腹が立った。きっとアニメがそんな場でなければならない必要も理由も何もないのだけど、自分がアニメに救われたと感じていただけに、現状が憎かった。