あの日の夢

中野駅北口を出て、商店街を右に並走する道に入ると居酒屋が立ち並ぶ通りがある。その中に、平日夜遅くにもかかわらず大学生に見えない二人組の女性がいた。

一人は茶髪でセミロング、シンプルな黄色のTシャツを着ているが、普通の服ではない。手書きのようなピンク色の文字で「レシプロ」と書かれている。

黒髪ロングの方はその小さな身の丈に合わない黒いジャージを着ている。

 

あずにゃん、ほら、前のあのバンドはまだ続けてるの?」

「もう解散しました。」

「ええっ!そうなのっ!?あずにゃんのギター、また聞きたかったのになあ……」

「唯先輩こそ最近どうしてるんですか?仕事やめちゃったんじゃ……」

「あれから、実家に戻ったんだけど、憂がすごくよく世話してくれて。」

「憂、相変わらず。いくつになっても困ったお姉ちゃんですね。」

「も~~、やめてよあずにゃ~ん。でもね、結局、いつまでも憂の世話になってるわけにはいかないから、家をもう一度出ることにしたんだよ。」

「感心です。成長したんですね。」

「あの頃は憂に世話してもらうの当たり前みたいな感じだったのにね、今はその優しさが心にきゅーんって来るの。何でだろう……」

「わかりますわかります。私もフリーターですけど、まだ仕送りしてくれる親のことを考えると辛くなっちゃいます。どうして私、まだ自立できないんだろうって。」

「律ちゃんは大手でバリバリ働いてるし、澪ちゃんは結婚して赤ちゃんできて、ムギちゃんは……わたし、このままでいいのかな。」

「律先輩が真面目に働いてるのびっくりですよね。高校の時の頼りない先輩が嘘みたいです。」

「そうなんだよ~。いつも書類出すの忘れて和ちゃんに怒られてたよね~」

「そうですねえ。澪先輩も音楽が恋人だ、なんて言ってたのに。」

「さわちゃんが、彼氏が彼氏がーって言って焦ってたの、あの頃はわかんなかったけど、今はわかるよねえ。」

二人の笑い声が響く。

二、三秒、時が止まったかのような静寂。黒髪が口を開く。

「あの頃は毎日が楽しかったですね。」

再び静寂。黒髪は居心地が悪そうに目を泳がせた。

突然、茶髪はよく通る声で歌い出す。

「今日の出来事思い出して~いつも心がキュンとなって~」

しばし呆けたように茶髪の方を眺めていた黒髪は机に突っ伏した。

「本当に毎日そんな感じの時間でした。ホッチキス……懐かしい……」

その声は震えていた。

あずにゃん?」

「うっ…ううっ……ごめんなさい……ごめんなさい……せっかく久しぶりに会ったのに……」

あずにゃん。こっち見て。」

黒髪の手を握る茶髪。

「あったかあったかだよ。あずにゃん。」

瞬間、黒髪の目から流れる大粒の涙がぽたぽたとテーブルに落ちた。

「せんぱぁ~い!先輩っ!先輩っ!わたし…私…先輩たちとのあの日々が楽しくて…本当に楽しくて…それでずっと……ずっと……」

あずにゃん、聞いてるから、わたし聞いてるから、ゆっくり話すんだよ。」

黒髪は途切れ途切れになりながらも言葉を紡ぐ。

「大学卒業してからもずっと、バンドを続けていれば、またあの頃みたいな幸せを掴めるんじゃないかって思って、それで……」

「先輩たちがみんな就職しちゃって私……すごい寂しかった……。でも、仕方のないことだってわかってたから……自分であの頃のような場所を作るしかないって、何年もバンド続けて、それでも、どうしても、部室でみんなに囲まれてたあの頃に戻りたいって、そう思ってしまうんです。」

「寂しくて仕方なくて、彼氏も何人も作りました。でも、幸せなのは最初だけなんです。だんだん彼をちゃんと支えてあげなきゃ、彼のために何かしてあげなくちゃってそれでいっぱいいっぱいになって疲れている自分に気づくんです。限界がすぐに来ちゃう。」

茶髪は静かに聞いていた。

「音楽に真剣に打ち込もうと思ってやる気を出しても、心が付いていかない。唯先輩たちに出会う前の私にも戻れないんです。唯先輩がいて、みんながいたあの頃に戻りたい。戻りたいよぉ……」

黒髪を気遣い、「うんうん」と首を縦に振っていた茶髪は一瞬、呆けたように動きを止める。その直後、乱暴に抱きしめた。

あずにゃん、あずにゃ~ん!うわあああ~~~~~~ん!」

黒髪もつられて崩れ落ちる。

店内に響き渡る二人の大声は店員と客の必死の制止が終わるまで続いた。

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