20231102

許せない

怒りが止まらない。

今、ゼロ年代研究会の会誌の入稿期限まであと24時間をとっくに切っていて、それなのにやることはいっぱいで一分の余裕もない。全然ゲラの校正は終わってないし、座談会の文字起こしは一時間分くらい残っているし、なんなら自分の原稿すら完成していない。だが、どうしても怒りを抑えられないので、ここに書く。

 

弱者男性がどーたらこーたら、とか親ガチャがどーたらこーたら言ってる人たちは、とにかく読んだ方がいいと思いますよ。若者が社会に出て大人になっていくとはどういうことか、大きくいうと生きていくってどういうことなのか、実に分かりやすく言葉にしていると思います。

(2023年11月2日取得, https://twitter.com/oitan125/status/1720008905022128290)

ラブライブ!』などで知られる花田十輝富野由悠季の記事を引用し、上のようなツイートをしていた。元の記事をみると、全然そんなことは書いてない。そこで富野の言っていることは僕はよくわかる。

mantan-web.jp

僕は昨年のゼロ年代研究会の会誌『リフレイン』「自己実現至上主義」批判特集号において、『ラブライブ!』無印をテーマにまさにこの花田の脚本作品を代表とする「自己実現系アニメ」の批判を行った。うまく議論できていたかはともかく、自己の成長をすべてにおいて優先させる「自己実現至上主義」が花田作品の思想の背景にあると論じた。「自己実現至上主義」においては他者との大事な繋がりすら自己実現の道具と化してしまう。不遇な環境に置かれた他者に対する想像力や思いやりが花田に欠如していることは『ラブライブ!』を見るだけでも読み取れる。

 

僕は、いちいち花田のコメントに想像力がないとか弱者切り捨てだとか長々と批判を加えるつもりはない。それに、僕からみれば花田がこうコメントするのは全く不自然なことではない。だが、僕がどうしても怒りを抑えられないのは、こんな脚本家をトップクリエイターに押し上げてしまった社会だ。オタク文化が完全にポップカルチャーにのし上がったのは花田がトップクリエイターとして活躍した10年代。花田が10年代のアニメ業界を代表するクリエイターだということに異議を挟むものはなかなかいないだろう。

叩き出すとのではなく、応援してますよ。家庭環境がどうしようもない人は、なにをどうしようが恵まれた人には勝てない。という決めつけこそ、叩き出しだと思うのだけれれど、どうか。

(2023年11月2日取得, https://twitter.com/oitan125/status/1720032038324249020)

花田は、「想像力がない」などという批判に対して、「家庭環境がどうしようもない人は、なにをどうしようが恵まれた人には勝てない。という決めつけ」を批判して議論を逸らしている。

「親ガチャ」の問題は別に勝てないことが問題では全くない。

これも僕の想像にすぎないかもしれないが、多くの「親ガチャ」に苦しむ人にとっては生きることそのものが難しいことが問題なのだと思う。

「社会に出て大人になっていくとはどういうことか」以前のところで苦しんでいる人はとても多い。

あなた、若者向けに脚本書いてるクリエイターでしょう。

苦しい日々を送ってる若者を追い詰めるようなこと、なんで書くんだよ。

僕は、アニメは本当に苦しい日々を送っている人のためのものであってほしかった。

そして、僕は『カードキャプターさくら』だとか『まなびストレート!』だとかそういう作品に救われてきた。

多分、もう深夜アニメのうち少なくとも主流の部分は、もうそういう人のためのものではなくなったんだと思う。

それが辛くて、僕はゼロ年代研究会をやっている。