昨日旧劇エヴァを見た。あまりにも感じいってしまい、ミソジニーも含め書きなぐった。繰り返しになるが許してほしい。どうしても消えてくれないんだ。定期的にこういうことを書かなければ、精神がもたない。
さて、一番気に入っているのは昨日のブログに書いている通り、シンジの内面世界の象徴として登場するアスカとシンジの口論の場面だ。
シンジ「何か役に立ちたいんだ。ずっと一緒にいたいんだ」
アスカ「じゃあ、何もしないで。もうそばに来ないで。あんた、私を傷つけるだけだもの」
シンジ「アスカ、助けてよ。アスカじゃなきゃダメなんだ」
アスカ「嘘ね」
シンジ「ハッ」
アスカ「あんた、誰でもいいんでしょ。ミサトもファーストも怖いから、お父さんもお母さんも怖いから、私に逃げてるだけじゃないの!」
シンジ「アスカ、助けてよ」
アスカ「それが一番楽で傷つかないもの!」
かつての僕は、こんなに怒っているアスカといることがシンジにとって「一番楽で傷つかない」ことである、ということが理解できなかった。首をかしげるばかりだった。でも今はわかる。
綾波やミサトは、シンジに心を動かされない。シンジに何も求めない。シンジがどうあろうとも、彼女たちは何も変わらない。そのことはシンジに自分の存在の無意味さを突き付ける。シンジの恐怖はそこにある。アスカだけが自分の存在の意味を証し立ててくれるかもしれない存在なのだ。
シンジ「ねえ! 僕を助けてよ!」
アスカ「ホントに他人を好きになったことないのよ! 自分しかここにいないのよ。その自分も好きだって感じたことないのよ!」
アスカ「哀れね」
シンジ「助けてよ。ねえ、誰か僕を……お願いだから僕を助けて。助けてよ……助けてよ……僕を助けてよ! 一人にしないで! 僕を見捨てないで! 僕を殺さないで!」
アスカ「嫌」
自分しかここにいないというのは、自分の価値を確認したいがために人を求める、そのことを指している。いくら自問自答を繰り返してもそこから逃れることは難しい。自分をわかってくれるかもしれない存在との出会いと、失望。その繰り返し。
ミサトは最期にシンジにこう言ったじゃないか。
今の自分が絶対じゃないわ
あとで間違いに気づき、後悔する
私はその繰り返しだった……
ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ
でも、そのたびに前に進めた気がする
それが人生じゃないのか。『シン・エヴァンゲリオン』に感じた違和感はこれだった。全部終わったような顔をしてんじゃねえよ。俺はまだ終わってないんだよ。俺を置いてくなよ。
僕は人類補完計画に惹かれている。人のことでこれ以上苦しまなくて済むのなら、それでいいじゃないか。本気でそう思う。でも本当にそれが実現することを想像すると、現実世界でもう少しもがきたいような気もしてくる。初めは何の関係も持たなかった人と距離が近づき、互いが互いを大切に思うようになっていく。その積み重ねは、その過程は、もしかしたら「永遠」よりも幸福なことなんじゃないだろうか?