Twitterにいるできない人を見下して悦に入っているような人間たちに十年間ずっと苦汁をなめさせられ続けたような気がする。人格が歪むほどに。
やつらに復讐する手段なんて何一つとしてない。仮に僕がやつらの価値観で評価されるようになったとしても、それはやつらの仲間入りを果たしたというだけのことで、二級市民が一級市民としての価値を認められたくらいのことでしかない。彼らと僕の間にあるのはただただ等級の差なのだ。上か下かでしかない。
もちろん勝負に乗らなければいいだけの話ではあるのだが、彼らの僕のような人を見下した発言をみて感情を揺さぶられるとき、その瞬間だけは、はっきりと彼我の差が生じてしまう。その瞬間が存在することがすでに耐え難い。