『SHIROBAKO』の平岡というキャラクターのことを急に思い出した。
夢と希望をもって元気よくアニメ制作進行の仕事をする主人公・宮森の前にあらわれた、やる気のない態度で現場の士気を下げるヒールキャラである。
ところが、話が進むとそんな彼もかつてはアニメの仕事に夢と情熱をもった若者であったことが明らかになるのである。
この業種もプログラミングが好きで好きで仕方がないみたいな人が多い。彼らとの差が一生開き続けていくことを想像して毎日毎日ぞっとした気分になる。
これでもプログラミングのことを好きになろうとは思っているのだけど、やっぱり天然モノの人たちには勝てない。明らかに僕はそちら側ではない。
『SHIROBAKO』は、好きなこと(=アニメ)を仕事にした女性五人が辛いこともありつつ仕事を頑張るといった内容のアニメだ。彼女たちは結構どうでもいいのだが、僕はどうにも平岡のことがずっと気になっていた。平岡に仕事を始めたときの自分の将来像をみていたのかもしれない。
そこで平岡最重要回こと22話を見返してみた。
すると、あの女性五人組に対するイラつきが止まらない。昔はこんな気持ちにならなかった。もちろん彼女らのような人間に対する嫉妬もある。それに何より「大好きな」「深夜アニメの」「お仕事を」「頑張る」という内容が許せない。
こういうアニメを楽しんでみるような人はどんな人か。
きっと、人とちゃんとコミュニケーションが取れて仕事もできるし、明るく前向きに生きているんだろう。
そんなやつらがオタクを自称して深夜アニメを見ているわけだ。
平岡は仕事に対して情熱を持つのをやめた人間だ。仕事を「楽しむ」のではなく、「やり過ごす」。そんな態度を選択した人間だ。
楽しんだ方が楽だとみんないう。
そうだ。そんなことはわかっている。
結局、そうするしかない。
楽しめば楽しむほど、効率も上がれば苦痛も減る。
当たり前の話だ。
僕だって調子のいい日はあるかもしれない。
でもやっぱり気分が乗らない日の方が多い。
気分が乗らないとどんどん焦って悪い方に悪い方にと転がっていってしまう。
なぜわかりきっている正解を選べない人がいるのか?
アニメたるものそこに切り込んでほしいし、改めて見てやっぱり平岡の話はよかった。
平岡が傷つきとトラウマを語り、自分の現状を嘆く姿は感動を禁じ得ない。この先人生に困らなさそうな連中ばかり出てくる作品なだけに、その分こちら側を描いてくれたという感感動もひとしおだ。
平岡の頑張りを認めるのがダメ社員タローなのもよかった。今更宮森がいい顔をして慰めてきても冷めてしまっていたことだろう。俺が平岡なら、感謝はすれど釈然としなかったと思う。苦しさを知っている人間でないとダメなのだ。宮森は平岡のことを一生嫌なやつとでも思っておけばいいし、その方が救いですらある。
ああいうやつに同情されたとき、猜疑心と憎しみと嫉妬が止まらなくなりそうで怖い。
現実の世の中ではむしろ宮森みたいな人こそ少数派だろう。宮森のふりをしている人がほとんどじゃないだろうか。だからこそ僕はこれまでなんとか人間関係をやってこれたというわけだ。
もちろん、みんなに宮森のふりをさせる社会は憎いけれど。この世界に蔓延するうつ病の大きな原因だと思う。