20250111

疲れるとどうしてもボードゲームをやったりTwitterをやったりする時間が増える。

 

どうしてこの二つなのか考えてみると、どちらも自己効力感を効率よく得られるものとして選ばれていることに気づく。Twitterボードゲームも一時的に自分が「できる」側になったという錯覚を与えてくれる。これが日々「できない」がために苦しんでいる僕には効くのだ。

 

Twitterで行われる議論は簡潔で、しかもワンパターンだ。こういう話にはこう返せば反論できるというのがすでにこちら側も学習して「適切」な反応を返すことができる。そこには「安心」がある。

 

「学習」という言い方は正しくないかもしれない。この筋の議論にはこう反応するということを、条件付けられているといった方がよい。これを対立する陣営同士がやっているものだから相互に自分は相手より「できる」と思い込むある意味Win-Winな関係が成立している。この仕組みは本当に気持ち悪いと思うのだけど、事実僕はそれが与えてくれるものに依存してしまっている。

 

「できない」自分を認められればいいのだけど、それがどれほど難しいことかはこの人生で痛いほど味わってきた。簡単に解決出来たらこんなに人は苦しまないし、互いに傷つけあうことだって少なくなるはずだ。一生、向き合わなければいけない問題である。