20230908

時計じかけのオレンジ』観た

今日は眠剤を飲むタイミングを逸したせいで2時間+2時間の4時間しか寝れなかった。それで終電まで会に参加し、疲れて宿泊先に帰ると友人がキューブリックを何か観ようと言って『時計じかけのオレンジ』を上映し始めた。ちょうど朝、別の友人にキューブリックなら『時計じかけのオレンジ』から観るのがいいと言われたところだったのでちょうどよかった。眠いので観れるか不安だったが、冒頭の映像がめちゃくちゃで面白く、そのまま勢いで最後まで観れてしまった。長尾謙一郎に似てるねと、友人と話していたが、影響受けてるんだろうか。昨日も溝口健二の『西鶴一代女』を見ていて、僕も友人もあんまり集中して見れなかったのだが、今回は全編楽しく観ることができた。結論から言って、全然何が言いたい映画なのか、よくわからなかったのだが……。

 

映画をなんで見てこなかったか

 

僕はこれまで全然映画を見てこなかった。なんでか映画見てる間にちょっと考えていた。

 

・情報量の多さ

映像だと漫画と比べて画面に映る情報が多い。しかも視覚情報を記号的に描いてくれる漫画と違ってその情報を処理するのに余計なエネルギーを使う。英語だったら、字幕があるとはいえ、ついつい聞き取ろうとしてしまうし、別の言語でもそれはそれで声のトーンから情報を読み取るのにひとつ苦労がいる。大体僕が見たいと思うような映画は、構図から情報を読み取ったりするのに骨が折れるタイプの映画が多いからそれで疲れるというのもある。いや、それは僕の意識の問題で、映画をエンタメだと思って観てないからかもしれない。

 

・批評や考察の豊富さ

漫画は所詮批評家から舐められてる分野だから大して批評は分厚くない。でも映画は批評の歴史も重い。この映画を見た、じゃああの人は何を言ってるのか、みんなどう解釈してるのか、そういうものを調べないといけない気がしてしまう。漫画と比べて批評の全体的な質が高いうえに簡単に高品質な批評が読めてしまうので、さすがに読まないといけない。このことは小説にも言えるのだが……。結局僕が漫画好きなのは、そういうものから逃げているからなのかもしれない。漫画ならいっぱしの論者になったような気になれるから。

 

こうやって逃げてばかりいるからいつまでもコンプレックスが消えないんだよなあ。

 

あと、映画も文学もインテリのたしなむもので、所詮頭の悪い僕には扱えないものなのかもしれないね。映画や文学について何かが語れる人は本当に尊敬する。いや、なんかこう言うと漫画について真剣に論じてる人に失礼だな……。僕がだめなだけなんです。許してください。