『Kanon』真琴ルート・焼きそば②
『Kanon』真琴ルート・焼きそば①のつづき
さらにはフライパンにまだ、ひとり分ほど丸々と残っているのだ。
袋をいくつ開けただろう? 三つか四つだったと思うが、寝ぼけていたのでよくわからなかった。
よくもまあ、それで指を切り落とさなかったと今更になって思う。
焼きそばだけは作り慣れていたので、通い慣れた通学路のように条件反射的に作ってしまったのだろう。
祐一は寝ぼけながら身体化された記憶だけを頼りに焼きそばを作っていく。祐一にとって「通いなれた通学路のよう」に慣れ親しんだものである焼きそばを、真琴はここで初めて食べることになる。肉まんばかり食べている真琴にとって、焼きそばは他者の象徴だ。めんどくさそうに焼きそばを食べる真琴の中で何かが変わっていく。他者のぬくもりを、その大切さを、真琴はゆっくりと気づいていく。
一口食べてみると、味も悪くなかった。だが、やはり全部は食えそうもなかった。
祐一「うーむ…」
こと、と音がしてドアのほうを見やると、名雪が顔を覗かせて、眠そうに眼を擦っていた。
真琴ルートの偉大さは、真琴が「人のぬくもり」を知っていく過程が、祐一との二人きりの閉じた関係に留まっていないことだ。
名雪「焼きそば…」
祐一「食うか?」
名雪「うん」
祐一「ちょうど良かった。作りすぎて難儀していたんだ」
三つ目の皿を用意し、それに盛る。
深夜に焼きそばを食べる祐一たちを見て、何も考えずに付き合う名雪。
名雪「お母さんも呼んでくる」
祐一「おい、こんな時間に起こして、焼きそば食べる?って訊くのか?」
名雪「うん」
祐一「おい、待てって」
止める間もなく、名雪は廊下の暗闇に再び姿を消す。
あいつのことだ。ほんとうに秋子さんをこんな時間に起こして、『焼きそば食べる?』と訊くのだ。
水瀬家のあたたかさ。それは次のテキストで見事に表現されている。
そして案の定、というかこの家に住む人間はなぜにこうも呑気なのだろうか。
別に真琴にとってこうした集まりが大切だと特別意識して集まったわけではない。各々がそうしたいから集まったのだ。こういう場こそが「人のぬくもり」を生み出していく。
秋子さんもこの深夜、焼きそばを食べるために姿を現した。
秋子「お茶いれるわね」
そう言って湯を沸かし始める。
祐一「昨今、夕飯だってなかなか一家揃わないってのに、深夜の夜食にわざわざこうやって一家団らんが揃うかね、この家は…」
この祐一のぼやきが僕は好きだ。祐一は、この家をもう愛してしまっている。
秋子「仲が良くて、いいんじゃない?」
秋子さんが湯飲みを食卓に並べながら、のほほんと言う。まったく平和な話である。
こうした繋がりがいかに貴重か。どんなに欲しくても得られないものなのか。
名雪にしてもそうだが、別に焼きそばにつられてこの場所に現れたわけではないだろう。
そうだ。
どうもこの家の人間は、こういった団らんに身を置くことがことのほか好きらしい。
名雪と秋子は知っている。
真琴と俺が楽しそうにしているのを見て、夜な夜な食卓に皆集まってきたのだ。
人と人とが触れ合うことがどんなに楽しいか。それを知っている。
真琴「………」
そんなことを知ってか知らずか、真琴はきょろきょろとみんなの顔を不思議そうに窺いながら、最後まで冷めた焼きそばをつついていた。
真琴は目の前で起こっている奇跡に気づいていない。その貴重さに気づいていない。でも、この繋がりは、ささやかでも確実に真琴の中に変化を与えていく。
結局一家が寝静まることになったのは、夜中の3時を過ぎてからだった。
人と一緒に何かを共有した経験、それはあまりにも大事で、あまりにもはかない。僕が「それ」を知ったのはいつだっただろうか。だいぶ後の方になってからだったような気がする。「それ」を知ることができる、それだけでも幸福なのだと思う。