総括①
自分がこれまで生きてきた結果として、人に対する配慮ができない人間になってしまっていたことに気づいた。
シェアハウスを作ってからというもの、人に対して配慮して喋るってことを僕はすっかり怠っていたらしい。シェアハウスの人たちは僕は失礼な発言をしてもそれを僕のキャラクターの一部として受け入れてくれた。だから居心地があまりにもよかったし、周囲から隔絶された空間でぬくぬくと増長してしまったのだった。
これから僕は次のことに気をつけて生活を送ろうと思う。
①人に対して常に自分の発言がどんな影響を与えるか気を遣ってから発言する。
アージュが2006年に発売した美少女ゲーム『マブラヴオルタネイティヴ』では、宇宙生物との絶望的な戦争の最中、トラウマ的な出来事によりPTSDを患った主人公・武が、そんな状況下に陥ってもなお盟友・冥夜にチームの軸としての役割を期待され、「ひとりの人間としての心の自由を持ってはいけないのか」と激高する場面がある。それに対しての返答がこれだ。
僕はこの言葉が妙に印象に残っている。プレイ当時の僕は作品の文脈を無視して完全に自分の文脈に当てはめて読んでいた。
辛いとしか思えないような状況下でもそれを理由に人に対する気遣いを欠かしてしまっては、今度こそ自分の望みがかなう機会を失ってしまう。自分の力になってくれるのは結局のところ、どんなときも周囲の人間の手助けだからだ。だから自分の望みがなんであれ、望むように生きるためには人を常に気遣うことを欠かしてはいけない。
このときは激高した武だったが、のちに自分を甘やかさず必要な時に諫めてくれる冥夜のような人間のことを「尊い存在」と位置付けるようになる。「自分に対して必要なときに遠慮なく諫めてくれる友達は一番大事にしなければいけない」と、『マブラヴオルタネイティヴ』は説くわけだが、この説教は実に効いた。
ところで、僕はこの『マブラヴオルタ』から得た大事な教訓を忘れてのうのうと二年間増長して生きてきた。好き放題に自らの欲望を喚き散らし、他人に対して言いたい放題を極めてきた。気づけば人格が腐っていた。気づいたからには、ぼけーっと過ごすわけにはいかないようだ。
②人に対して優/劣でジャッジをしない。
僕がやらかすパターンはいつも一緒だ。人に対して自分のコンプレックスを投影して勝手に劣等感を募らせ、「自分は劣っているのだから」などと言い訳しつつ相手の「権力性」「強者としての傲慢」を攻撃したり、急に気が大きくなって自分は相手より優れているのではと思ったとたんに自分の優越性を誇示して人を罵倒したりして周りの人を傷つける。僕が人に対する配慮に欠ける根本には、人に対する劣等感がある。劣等感があるからこそ、自分に人を非難する権利があると錯覚したり、急に気が大きくなったときに「自分が実は優れているのでは」と「悟った」結果、躁状態で人を罵倒することになる。
だから優/劣で人のことをみるのを、もういい加減やめようと思う。こうしている今日もなかなかうまくいってないけど、粘り強く変えていきたい。
そう決意したとき、なんだか楽になったような気がした。いつも目に入る人目に入る人に劣等感を抱き続けてきたから、それが実はすごくしんどかったんだと思う。自分を救うために、やるしかない。