20231224

僕はこれからどうしてこんな風になってしまったのか。

将来幸せになる展望がみえないのか。

人格が腐ってしまったのか。

 

結局、劣等感やコンプレックスが悪いのだ、という話にいつも落ち着く。

今だって、クリスマスの雰囲気にノれる「マジョリティ」の人たちに恨みをこじらせている。『M-1』をシェアハウスのリビングでみんなが見ていたが、「どちらの芸人さんも素晴らしかったですけど~」などという一般投票者の受け答えのあまりの普通さ・無個性さに激しい怒りを覚えた。こういうやつが結局、友達をいっぱい作って交際相手もいて仕事もこなしてみんなに愛されて、人生うまくやるんだ、って。まさに、こういうのがいつも僕が怒られる原因らしい。「お前は強者のふりして弱者のふりばかりしている」とここ一、二年言われてきた。でも、本当に心の底から怒りが抑えきれなくなる。頭では今の自分の恵まれた状況を理解できるのに、ふっと怒りが抑えきれなくなる瞬間には、友達がいなくて寂しかったころに頭が戻っている。

 

ずっと友達がいなくて寂しかったころの感覚が抜けないのはなんでだろうか。その頃のルサンチマンが今でも変わらずに顔を出すのはどうしてだろうか。そろそろこういうのはやめないといけないとはわかっている。でもどうして捨てられないんだろうか。

 

一つには、寂しかったころの感覚を忘れてしまったら、寂しさを抱えている人に優しくできなくなると、僕が考えているからだ。優しくありたいというのも自分の中のエゴだと思う。実際、僕は人に優しくできていない。

 

もう一つは、昔からの世界観。小学校の僕はまさに競争主義的価値観の中で生きてきた。東大に行ってえらい学者になることが夢だった。何の学者かは、どうでもよかった。履歴とポジションだけが大事だった。人間にはみんな優劣があって果てない競争を続けているというのが当時の僕の世界だった。やがてそれは勉強だけにとどまらず、スクールカーストに恋愛に、能力だけではなく人間のネットワークにも適用された。

 

みんなが他者の承認を求めて競争している世界。僕の世界は、なんて寂しくて嫌な世界なんだろう。そこから抜け出したい。