20231227

せっかくの勇気が - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

せっかくの勇気が

村上さん、こんにちは。
いきなりですが、失恋から立ち直る方法を教えてください。村上さんならどうやって失恋から立ち直りますか? 年末に好きな子に連絡先を渡したんです。「連絡ください」とは伝えたんですが、年が明けてもまったく連絡が来る気配がありません。どうやら振られたようです。その娘はカフェの店員さんで、その娘目当てでカフェに足しげく通っていました。昨年の12/25にそのカフェへ行ったらその娘から「今日でアルバイトを辞めるんです。これまでお世話になりました」と言われました。ああ、もう会えないんだと思って、勇気を出して連絡先を渡しました。クリスマスだし、もしかしたら連絡くれるかもと淡い期待を抱きましたが、どうやら淡い期待のままだったようです。彼女はカフェを辞めてしまったので、もう会えません。僕は悲しく落ち込んでいます。村上さんだったら、どうやって失恋から立ち直りますか? 
(とおるん〈趣味がランニングなので、とおる+runでとおるんです〉、男性、35歳、会社員)

 

失礼ですが、あなたはまだ人生というものがわかってないみたいですね。そんなのは失恋とも呼べません。その前の段階です。もう35歳でしょう。しっかりしてください。世の中にはもっともっと悲痛なことがいっぱいあります。

村上春樹

このツイート見てこのやりとりを知ったんだけど、僕は質問者の話こそ悲痛なことだろうと思った。辛い失恋は数あれど、失恋の前の段階でつまずいていることより悲痛な話はなかなかないだろう。「しっかりしてください」と呼びかけられたところで今更とおるんは何をすればいいのか。自分の現状を自分で認めることができるようになる以外、とおるんには手段が残されていない。この高度資本主義が発展した日本社会において、「まっとう」になれないことは悲惨なのだ。「まっとう」になることのハードルが高すぎて、みんなそのハードルを越えようと努力して努力して苦しむことになる。

 

さきほど、とおるんに残されているのは自分の現状を自分で認めることだけだ、と述べた。ところがそれこそが「まっとう」になること以上に難しいのだ。ハードルを越えて「まっとう」になることさえできれば、自分を承認してくれる言説や人間たちにこの世界はあふれている。だが、「まっとう」になれなかった人には自分を承認してくれる言説も人間も乏しい上に、逆に言説や人間たちに否定される中、生きていかなきゃいけなくなる。まさに、村上春樹がとおるんを否定したように。そうやって「まっとう」になれなかった人たちは、ルサンチマンばかりが膨らんで、人の言葉を全部自分への攻撃としてしかとらえられなくなっていく。人とますます関係を築けなくなって、みんな自分を否定してるって思い込みがまた強くなって。彼らに出口は用意されていないのだ。そんな人たちをときどき見るたび、僕はひどく悲しくなる。