なぜ、ブログを始めたか?

 僕は、コミュニケーションが苦手である。人に自分の考えを伝えようとしても、いつも空回りしてしまう。伝えること自体も下手だし、伝えるのに適したタイミングも見極めることができない。したがって、結局何かいいたいこと、自分について知ってほしいことがあっても、口をつむぐか、そうでなければ適当にあしらわれるかのどちらかになることが多い。そこで、このブログを何か他の人に伝えたいがあった時の掃き溜めにしようと思う。

 

 ところで、こうした他者に自分をさらけ出す行為は、とりわけ批判されやすい。厚かましいだとか、自己顕示欲が強いだとか、誰を傷つけようというわけでもないのに、とにかくネガティブなイメージでとらえられる。現に『自分語り』という言葉があるが、この言葉はほぼ例外なく悪い意味で使われている。

 

 こんなことを言うと、「空気を読んだうえでの『自分語り』は許されるではないか。誰も『自分語り』をするなとは言っていない。」、というような声が聞こえてきそうである。しかし、『自分語り』が許されているのは誰であろうか?集団内で上位のヒエラルキーに立つ人間なのである。僕のような常に下位のヒエラルキーにいるような人間には、リアルなコミュニケーションの場で自分語りをすることは必然的に難しくなるのだ。だからこそ、ブログのような場が僕たちにとっては必要なのである。

 

 また、『自分語り』を批判するような人間には理解できないかもしれないが、世の中には僕のような『自分語り』をしたくてたまらない人間もいるのである。思えば、僕の人生は『自分語り』欲求に振り回されてきた人生とも言える。『自分』を誰かに理解してほしくてツイッターに入り浸り、鬱になるまでのめりこんだこともあったし、自己を表現できない場が嫌いで、集団行動にいまいち馴染めず、集団内で孤立することを繰り返してきた。大学に入ってからは、そんな自分を変え集団に適応しようと努力したが結局精神に限界がきて挫折してしまった。ブログを始めるという行為は、『自分語り』の解禁という意味では、集団適応に失敗した僕の末路ともいえる。『自分語り』をしたいという欲求は、結局抑えきれなかったわけだ。以前ツイッターをやったときの失敗を繰り返さないようにやるつもりである。

 

 このブログでは、誰かを傷つけない範囲で、空気を読まず、場をわきまえずに、僕の好きなように発言していきたい。僕のブログを読んで、考えに共感してくれる人が一人でもいたらいいなと思っている。