20230717

も〜っとおジャ魔女どれみ』20話「はじめて会うクラスメイト」を観た。


どれみが不登校のクラスメイトかよこちゃんのことを知り、かよこちゃんと仲良くなろうと奮闘する話。

 

どれみは学校を休みかよこちゃんに付いて図書館に行くのだが、かよこちゃんにどうして付いてくるのか聞かれて「学校を休めばかよこちゃんの気持ちがわかると思って」と答える。「そんなことして私の気持ちなんかわかるわけないじゃない。馬鹿にしてんの?」と返される。どれみは慌てて否定する。

 

「あたしはかよこちゃんとお友達になりたいなって思って、そのためには、そのかよこちゃんの気持ちとか知りたいなって思ったりして、昨日からずっと考えてて、学校休んじゃったりしてみたらどうかなーって思ったりなんかしたりしてー」

 

どれみは一生懸命かよこちゃんに付いてきたわけを語ろうとする。かよこちゃんと友達になるために何を考え、どうしてその行動を取ったのか。その過程を語ろうとする。人が人を思って行動する、その過程が大事なのだ。

 

図書館で探り合うように言葉を交わすどれみとかよこちゃん。二人は互いの共通点を徐々に探していく。そして二人でクッキーを一緒に作る。どれみはこうしてかよこちゃんの信頼を勝ち取っていく。

 

「どれみちゃんみたいな子がいるなら学校行こうかな」

 

翌日、かよこちゃんは登校するどれみたちの前に姿を現す。だが、校舎を見た途端、かよこちゃんの足が止まる。クラスメイトの陰口、自分を拒絶する言葉。そうした光景がフラッシュバックする。「どれみちゃんごめん!」かよこちゃんは帰路へ引き返す。

 

ここで僕の時間も9年前の高校1年生だった頃に引き戻される。

 

授業中に「あいつキモいよね」と後ろの席から陰口を叩かれ続けた。クラスメイトの会話を聞きたくなくて、休み時間は廊下でツイッター。授業中もツイッター。とにかく人からの承認が欲しかった。ツイッターの空間でも必死に周りに合わせて自分を作って、でもどこか距離を感じていて・・・。

 

そんなとき、引きこもりの友達の話を思い出した。僕は引きこもりの友達なら自分でも必要とされるかもしれないと思った。彼をなんとか学校に来させれば、何かが変わるのかもしれない。そうして毎朝彼の家に通うことを決めたのだった。

 

彼との会話はうまくいかなかった。彼は寡黙だったし、僕もどう接したらいいかわからなかった。毎朝彼の家に行くことはやがて義務感に変わっていった。彼を学校に行かせることに果たして意味があるんだろうか。自分だって行きたくないようなところに。僕は当時退学することばかり考えていた。退学して高認取って大学に行く。だが、退学することに不安もあった。彼が苦しんでいたのを見ていて、高校に行かず普通の人と違う道を歩むということに自分が耐えられる気もしなかった。自分がなぜ高校に行く意味も、彼を高校に行かせようとすることの意味もわからずにただ義務感だけに囚われて通い続けた。

 

彼の母親(彼に父親はいなかった)はそんな僕に感謝したが、次第に依存されるようになった。毎朝車で学校まで送ってくれたが、その間彼を担任した先生の悪口を言い続けた。たったひとりで仕事に鬱の子供を抱えて疲弊し、明らかに精神状態が普通ではないことは明白だった。車内で彼に関わった人ひとりひとりを罵倒する時間がとにかく辛かった。

 

母親の攻撃性を内面化した僕は、次第に彼が高校に行けないのは自分のせいではないかという加害妄想に取り憑かれるようになった。義務感に罪悪感が加わった。そうしてある日、彼の家についに行くことができなくなったのだった。

 

彼を見捨てたんだ、裏切ったんだという後悔は未だについて回っている。

 

どれみのように、彼にもっと自分の気持ちや自分のこれまでを開示していれば、何か変わったかもしれない。彼を外に連れ出して、一緒にゲーセンでゲームやったりカラオケにでアニソンでも歌ったりしていれば、何かが・・・。