20230722

試験勉強

 

今日は留年互助会で試験直前の勉強会を開いた。今回の試験勉強は辛い。今年は絶対に卒業しなければならないからだ。もう二度と就職活動はしたくない。

 

就職活動をちょっと振り返る

 

これまで生きてきて就職活動ほど辛いものはなかった。自分は新卒労働市場では価値が低く(留年、技術力低い、発達障害、面接非常に苦手)、自分の無能さを突き付けられた。大手企業に受かった”優秀な”学生に指導をしてもらうサービスを受けたときなどは特に辛かった。自分がこれまでやってきたことが全部否定されるのだ。いや、否定なんて言い方は、まだ生ぬるいかもしれない。自分のこれまでやってきたことを一つ一つ企業様の役に立つかスクリーニングすることを迫られる。人から否定されるのではなく、自らこの活動は意味がなかったと切り捨てたり、この経験はこういう形で企業様への奉仕に活かせると意味を新しく付与する作業をこなさなければならない。経営者目線とやらを内面化して自分の活動を点検することを迫られるのだ。

 

いや、その場その場で騙し騙し乗り切ればいいじゃないかと多くの人は思うかもしれない。でも僕はそんなことができるほど器用ではなかったし、何よりここでなりふり構わず頑張らないと大きく将来が変わってしまうという焦りにすっかり支配されていた。

 

もう頑張ることに疲れていてここで環境の悪い企業に入ってしまうともっと苦労するんじゃないかという心配に加えて、受けた端から次々と落ちていく現実がメンタルの悪化に拍車をかけた。良い企業に入るためにどうすればいいか、自分の何を捧げればこの苦しさから解放されるのか、そのことしか考えられなくなっていく。

 

僕は大学時代、左翼的・非企業文化的なコミュニティでずっと活動してきた。自分も就職活動のあり方を批判していたし、正直、就職活動にあくせくと身を捧げる学生たちを見下していた。だから、最初は就職活動をすることへの罪悪感も強かったし、あえてやっているのだと言い聞かせていた。今やっていることは悪に満ちた就職活動の現状を知るためでもあるんだと。ところが、面接はひとつも一次すら通らなくて、やがて一月から三月にかけて必死にやったことが全部無駄に終わったことが明白になっていく。その時には焦りと後悔以外何も考えられなくなっていた。これまでいろんな活動をやってきたと思うが、あんなことはせずもっと自分の労働者としての価値を高める活動に精を出すべきだったと本気で後悔したほどだ。

 

結局、4月までに受けたところは全滅して、ちょっとの間就職活動を休むことにした。疲弊しきっていたからだ。最終的には6月初めにようやく内定をもらって、すぐに承諾した。来年からは東京に住むことになる。