20230829

頭痛い……

集中講義二日目。授業はめちゃくちゃ面白いのだが、10時半から18時まで授業を受けるのはすさまじく疲れる。授業以外のことにエネルギーを割くのは困難だ。働き始めたらこういう日が週に5日もあるのかと思うと気が遠くなる。

 

あぅーっ…

僕は自分のことを『Kanon』の沢渡真琴だと思っている。だから、困ったときは真琴と同じように「あぅーっ…。」と発する。それをよく知っている漫トロのやつが(僕はベッドで頭痛で苦しみながらうつぶせになってあぅあぅ言ってて彼らはその横でボドゲをやっていた。)、僕の真似をして「あぅーっ…」ってふざけて言ったりしていた。僕も頭痛に耐えかねて「あぅーっ…」と口に出す。そうしたら、やつらは「本物だ!」と喜んでいた。

 

いや、それは偽物だ。

 

www.nicovideo.jp

 

本物の「あぅーっ…」がお手軽に聴ける動画がないかと思って探したが、京アニ版の動画が出てきた。

 

いや、これも偽物だ。

 

真琴はこんなテンション高く「あうー!!」などと言ったりしない(ちなみに、僕の「あぅーっ…」はどっちかというとこっち側だ)。PS2版が正しい。もっとか細くて困りに困ったような声で発するのだ。僕は『Kanon』のアニメ版をちゃんと見たことがない(東映版も京アニ版も)。東映版のことは知らないが、京アニ版を見ているとこれは『Kanon』とは別物だというような気がしてしまう。『Kanon』の原作のテキストを読むと(特に真琴と佐祐理)一言一句に自分にとってなにか非常に重要な意味が隠されていると感じる。『Kanon』というものがこの世に存在しているということは奇跡なのだ。それがアニメになると、もともとの物語が持っていた特権的なそれ(神聖さ?いや、それを表現する言葉を僕はもたない)が失われてしまったような感じがしてしまう。

 

ときどき、僕なんかが「あぅーっ…」などと発していいのだろうかと思う。が、僕は真琴という存在に近づきたい。信仰のようなものかもしれない。「あぅーっ…」と言わないことに耐えられるほど強い心を持っていない。心が弱いから真琴という存在に惹かれてしまうのだ。

 

だから明日も「あぅーっ…」と言うことをやめない*1

*1:僕にとって特別な立ち位置にあるキャラクターとしてもうひとり、『カードキャプターさくら』のさくらがいる。さくらは「やさしさ」の象徴だ。日々さくらになりたくて僕は「ほええええ」「はにゃーん」などと唱えている。