20240115

この記事が話題になっていた。

anond.hatelabo.jp

非モテの問題に関しては在野の非モテとして一家言あるのでブログを書こう書こうと思っていたが時間がなく、そうこうしているうちに4日分も更新をサボってしまった。

さて、この増田へのコメントを見ていくと男がどうして自分の「ダメさ」をアピールしだしたのか推測するコメントが目立つ。最初に短所を知って欲しいと思う彼は誠実なのだ、だとか、コンプレックスとか自己不全感の補完として恋人を求めているのだ(でもそれは青臭い幻想である)だとか。

anond.hatelabo.jp

「ダメな俺を受け止めてくれ症候群」の男性と付き合ったことがあるという人の体験談を語る人もいる。ようするに、「こうなってほしい」って希望を聞き入れられず「ダメな俺」を承認することばかりを一方的に求められ続けてしんどかったという話らしい。

恋愛関係というのは「永続的に」「深く付き合う」と想定されている関係であるがゆえに相手に対して求めるものの水準が上がりやすい。それは「症候群」の男性もそうだし、「症候群」の男性に対して「友達としてはいいけど……」と振る女性もそうだ。だからこそ相互に関係の維持のために努力しようという意識がある人でないと恋人にしたくないという話になる。

 

冒頭の増田の記事では「症候群」の男と付き合わなかった理由をこうまとめている。

好きな人から好きになって貰うために、努力や気遣いが必要だということを私は知っている。「彼とは素の自分で付き合える」「彼といると楽」と言っている友人が、その関係を維持するために「下手くそ」だと言えなかったり、自分が疲れていても彼の愚痴を聞いたりしていることを知っている。それは彼を想えばこそだろう。思い返してみれば、結婚40年目になる両親ですらそうだ。「努力と気遣いが必要な恋愛関係は本当の恋人同士ではない」と言える人は幸せだ、そんな対人関係を築けているということなのだから。

 

おそらく彼と私が付き合ったところで、心が豊かになるような生活はおくれなかっただろう。努力する気がない人に対して努力をし続けられるような母性は、私にはなかった。ゲームの話が出来るのは楽しいかもしれないが、恋人から得るものがそんなものだけというのは寂しすぎる。

僕は全ての恋愛関係は努力と気遣いが必要ないような関係だと思っていた。限りなく親密な友人関係であり同時にこの世にたった一人しかいない人としてお互いを性的求め合う、そんな関係。だから街を歩いて楽しそうに恋人たちが歩いているのが羨ましくて仕方がなかった。僕もそんな風に、この人しかいないと思えるような女性に、自分のありのままを認めて欲しかった。そして、自分の全てを承認されたという感覚に包まれながらお互いを求め合う行為に耽りたかったのだ。

f:id:Thyroxin:20240119211315j:image

だが、そんな幸福な瞬間は仮に得られたとしても一瞬に過ぎない。永遠じゃ、ないんだ。幸福な瞬間が終わった時、残るのは一人と一人。お互いの関係を維持するために努力と気遣いを重ねる日常だ。

 

そもそもなんでモテる人とモテない人が存在するのか。恋愛がうまくいく人といかない人がいるのか。「この人となら」と思わせる人間的・性的な魅力の中には天性のものもあるかもしれないが、基本的には好きな人と交際に至るためにも、その関係を維持するためにも、努力と気遣いが必要なのだと思う。恋愛がうまく行く人は、モテるために、関係を維持するために、日々努力して自分を高め、いつも相手を気遣っている。それができている。できない人は恋愛で満足は得られない。残酷な世界なのだ。

 

でも、それでも僕は女性*1に"ありのままの自分"を認めて欲しい。でも、現実の女性では、無理かもしれない。いや、求めるべきではない。だから俺はかずさを頼った。真琴を頼った。遥子を頼った。俺をほんとうに支えてくれるものは、ありのままの僕をほんとうに認めてくれるのは、どこまで行っても現実世界には、ない。

*1:女性じゃないとダメらしい