今日は大きな話をしようと思う。
大きな話をすると不勉強を晒しそうで怖いのだが。
TwitterのTLは暇空茜の話題で持ちきりである。
今日も暇空支持を公言するヤバいやつが漫画家にも続々と……みたいな調子で盛り上がっていた。
僕はどうにも暇空信者を馬鹿にしきれない。
暇空はSNSの大衆化が生んだ。
僕は物心つき始めた頃(中3くらい*1)からTwitterをやってきたが、それから10年、Twitterの人間に嫉妬しなかった日はない。昔も今もいろんな知識があって語れる人が羨ましかった。そして十年経っても、ついぞそういう人間になることはできなかったのだった。自分は人よりできないと思って、この十年を生きてきた、ということになる。
誰かもわからない他者との比較と自己否定が激しくなった時期は、ぴったりネットに本格的に触れ始めた頃に一致する。自分を肯定することができないまま、25歳になってしまったわけだ。
暇空はどう見ても馬鹿だ。何の思想の成熟もなければ文才もてんでないと断言していいだろう。でも、馬鹿なのが明らかだからこそ支持を集めているのではないか。
暇空は、嫉妬心を刺激しない。自尊心を傷つけない。インターネットの大衆化からこのかた我々をずっと苦しめてきた傷口を暇空は広げない。自分が正しいっていう自信を与えてくれる。否定され続けた自分の存在を認めてくれる。
僕は、といえば暇空を支持できない。
というか性格的、特性的に無理なんだと思う。
暇空に惹かれる特性は僕には全くない。
これは多分異世界ものが苦手なのと同じなのだが、辛かったことが常にフラッシュバックする僕の脳は、どうやら苦しんで生きている人にしか興味を持てないようなんだな。暇空は現実で全能感を味わわせてくれるある種の装置としてウケていると思う*2のだが、僕とはおそらく相性が悪い。
そりゃ人間関係的に暇空を指示したら恥ずかしいみたいな圧力はあるかもしれないけど(こういうのもネットの息苦しいところよね)、もし友達みんなが支持してたとしても僕だけはどうにも暇空にノれない気がする。
でも暇空を支持する人の気持ちもわからなくはなくて(結局そちら側にはいけないのだが)、暇空にはノれなくても暇空シンパは意外と好きなのかもしれない。ともかく暇空ブームには名もなき(名を成せなかった)彼らの念の強さを感じている。