20231025

二宮ひかる『もう逢えない』

二宮ひかるの『もう逢えない』(ジェッツコミックス恋人の条件』収録)というたった二話の漫画に感動した。

主人公の清水は妻帯者で第二子の出産を間近に控えている。だが、野々村まゆという職場の後輩と不倫しているのである。

「許せない!! あいつらの 給与データ 改ざんして 減給してやる!!」

主人公のちょっとした愚痴に本気になって怒ってくれるまゆ。

誰かが 自分のかわりに 怒ったり 悲しんだり してくれる

それがどんなに 心安まる ことか……

そして安心を与えてくれるまゆに対して清水はこう思うわけである。

――彼女が 与えてくれるほど

オレは彼女に 与えてる物が あるんだろうか

まゆと愛し合った後の会話。まゆは子供が最初に好きになる異性は親なのだという話をする。まゆには幼少期に親の愛情をめぐるトラウマがあるのである。そこで清水は失言する。

「それじゃ 次の子が 女の子だったら オレに惚れて くれるのかなぁ」

激情したまゆはもし次の子が女の子だったら別れると宣言する。

ズルいよ 清水さん

奥さんにも 娘さんにも 私にも 好かれて…

よくばり だよ…

清水はまゆを本当に愛していた。だから妻のことよりも子供のことよりも、まゆと別れたくない気持ちに支配される。そうして出産当日、男の子かもしれない、という助産師がお世辞で発したひとことに突き動かされて、清水はまゆの元を訪れる。

この漫画、ここから終わりまでがすごいのだ。

 

「今にも自分の子供が産まれるって時に非常識よ!」と清水を責め立てるまゆ。

主人公は気づく。

どっちも 同じなんだな!?

男の子でも 女の子でも どっちでも

同じように おまえは つらいんだ!?

そしてこう続ける。

女の子が 産まれたら

オレはっ!!

女の子が 産まれたら

おまえみたいな 娘に

なって欲しいと 思う

きれいで

かわいくて

感情的で

やさしくて…

おまえ みたいな…

まゆの目からは涙が流れる。

―――ごめん…

ごめんねぇ…

こどもが 産まれる…

プレゼントの 包みを解く みたいな

待ち遠しくて

楽しいはずの 時間を

あたし

こわした…

清水は、まゆの抱える罪悪感に直面する。

「こわす」だなんて

そんな……

 

たいした自覚もなく

親になったのに

まゆは、清水のことを本当に愛していた。

シミズさんの 娘に 生まれたかったな

毎日 こんなふうに

膝に乗せて もらったら

幸せ だろうなァ

「父子じゃセックスできない」と返す清水にまゆは……

それでね

清水さんに いちばん最初に してもらう

恋とか 愛とかに 目覚める前に

たくさん たくさん してもらう

「すごい事言うね君は」

おとーさん おとーさん

抱っこして……

ああ、なんて清水は愛されているんだろう。

そんな 権利はない

オレの 器じゃない

そんな事は 分かってる

 

――なのに…

ひとは なんて簡単に

幸せになったり 不幸になったり するんだろう

それはきっと、清水がまゆを愛していたからだ。本当に好きだったからだ。

シミズさん

シミズさん

――だいすき…

まゆの言葉で物語は終わる。

 

後日談は清水の視点からこう綴られている。

――それから

彼女とオレは すぐに別れるという こともなく

しばらくの間 ずるずると 続いた

 

その日に 産まれたのは 女の子で

結局 オレが 名前をつけた

 

――元気で

しあわせに なってほしい と思う

 

たとえ もう二度と

逢えないと しても

泣いた。清水の思いを、まゆの思いを、想像すると辛く悲しい気持ちになる。それでもお互いにとってお互いが大切な人で、ふたりの時間は確かに幸せだったんだと思えて、それが余計に辛くて、泣いてしまった。相手が大切なのにうまく思いやれなくて、相手と自分の関係が不安なあまりの行動で、相手をつい困らせてしまって後悔する。それだけ相手のことが大切で、大切すぎて、自分にとってはその人しかいなくて……。お互いにそうやって愛しあって、傷つけあって……。

そのひととそのひとでしかありえない、ふたりだけの、ほんとうの関係。

恋人とか結婚とか不倫とか、そんな言葉では捉えられないほんとうに特別な関係。