自分のミソジニーの起源について

自分のミソジニーがどこから来たのか今日聞かれて、思ったことがある。

 

身近に女性のいなかった中1〜大2の間、僕は二次元の女性しか愛せなかった。妄想もオナニーも全部二次元だった。

 

当時、三次元の女性といったら芸能人しかいない。アイドルになるような女性とは世界の違いをいつも感じていた。僕がアイドルになろうと思うような女性と仮に会う機会があったとして仲良くなれるはずもない。でも僕はきっと本当はかわいい女性が好きだった。彼女たちに自分の欲望を認めて欲しかった。好きだと言われたかった。

 

でも想像の中の彼女たちはみな僕を拒絶した。かわいい女性を見るたびに、欲望を向けては拒絶されることを繰り返した。だから僕の視線は自分を受け入れてくれる二次元の女性に向かった。二次元の女性しか愛せないと自分を思い込ませていった。

 

この「拒絶されるに違いない」という想像の際限のない繰り返しが、やがてリアルな形を取り始める。「女性は僕を拒絶する」という信念に結晶していく。今ではそんなのは嘘だって、はっきりわかっている。好ましく思っている(恋愛感情とは限らない)女性の友達も何人もいる。

 

でも時々、芸能人っぽい女性を見ると憎らしく思うことがある。恋愛に夢中な女性(友達は仲良くしてくれてるのわかってるからそんな風に思うことはないよ!)を見ると、「どうせ僕を受け入れてくれないくせに」と暗い思考が脳裏をよぎる。そんな風にして傷つく必要は今やどこにもないはずなのに、まだ続けている。誰かに「拒絶された」感覚はいまだに残り続けている。誰に拒絶されたのかもわからないのに。