20240418

松永豊和の漫画『バクネヤング』を読んだ。

 

冒頭、「バクネヤング」を名乗る謎の巨漢男がパチンコ屋での小さな諍いをきっかけに突然にヤクザを激しく殴打するところから始まる。そこからあれよあれよという間に何百もの人々を殺しながら大阪城に立て籠もるのだ。大立ち回りの中で、引鉄を弾くか弾かないかという選択の場面が異様に頻出する。

 

「私に勝算があるのなら…」

「私がこんなところで死ぬはずがない」

そう言って意味もなく自分に銃口を向けるのだ。

 

撃てない者は死ぬし、引鉄を弾いたために死ぬ者もいる。

福本伸行の『アカギ』でも、赤木しげるが同じようにロシアンルーレットの要領で弾を込めて引鉄を弾いていたが、それは死を怖れないほどの覚悟を示すため。勝負ごとにおいて負けを怖れないことが重要なのだと説きたいためである。

それと比べて『バクネヤング』は無茶苦茶だ。何かあったらとりあえず自分に銃口を向けるし、それでウンウン唸って躊躇ったりするし、挙句の果てに意味もなく死んでいく。教訓も何もあったものじゃない。

 

余談だが、僕は松永豊和のデビュー作の短編「きりんぐぱらのいあ」の方が気に入っている。昨日も紹介した通りかつて自分をいじめた男にチビのブ男が復讐する話なのだが、かつてのいじめっ子が大人になりまともに社会生活を送り愛する人と同棲しているところに、ブ男がやってきて今まで積み上げてきたものを全部壊してしまうってところがいい。

『バクネヤング』の方は別に復讐も成就しないし、何もかも理不尽で……。

いや、やっぱり『バクネヤング』もいいなあ。こういう意味の分からない漫画は、理不尽な現実を思い起こしてくれるのがいい。

 

で、現実の僕はというと恨みの感情だけはすごくあるんだけど、その矛先が見つからない。誰かを恨もうにも、悪いのは強いて言うなら自分が身の程知らずなものを求めてしまうからで、それは人のせいにはできなくて、だからと言って自分を責める気にもなれない。だからいつも社会が悪いことにしてしまう。そうすれば気の済むまま罵倒できる。自分の責から逃れられる。きっと、だから『バクネヤング』の理不尽さに惹かれるんだろうな。理不尽なことは自分のせいではないから。