実は僕は京アニ版『Kanon』を見たことがない(実は東映版も……)。
"本物"の沢渡真琴が出てくるという話を聞いて、『Kanon』を理解しないまま作ったのだなと即断して見ていなかった。本当にひどい改変だ。
恥ずかしながら僕は京アニ版『CLANNAD』からKeyに入ったのだが、なんと作品に対して不誠実なアニメ会社だろうかと思う*1。またまた大変恥ずかしいことに僕は『CLANNAD』の原作をいまだに完走できていないが、いずれ原作はやらねばならないだろう。
わからない人のために説明しておくと、沢渡真琴という名前は、実は真琴が自分の名前だと思い込んで名乗った名前であって、本人の名前ではない。
それは真琴が狐だったころ、祐一に語り聞かされていた当時の祐一の想い人の名前だ。
祐一を慕い祐一に捨てられた真琴が唯一思い出せた名前が祐一の想い人の名だったということはなんと意義深い話だろうか。
真琴は自分の名をもたない。全部が全部借り物でしかない。財布*2も、服も、全部借り物だ。
真琴が肉まんを好きなのは、祐一が食べていたのがおいしそうだったからではなかったか。
真琴が一人でプリクラを撮っていたのは、女子高生の集団が楽しそうにはしゃいでいるのを見て憧れたからではなかったか。
欲望すらも借り物なのだ*3。
真琴には、何もない。
一方で"本物"の沢渡真琴はどうか。人間としての実体、幼いころの祐一の気持ち、狐だったころの真琴の目にはすべてを手に入れた存在に映っていたのではなかったか。だからこそ憧れたのではなかったか。
"借り物"の真琴の話には、"本物"の沢渡真琴の存在がついて回るようにみえる。なにより「沢渡真琴」という、その名前の由来によって。
だから"本物"の真琴にはどこまでも手の届かない人間であってほしかった。現実に姿を現してしまえば、真琴と対等のところまで降りてきてしまう。最悪の改変だ。
さて、視聴を始めるとやはり度し難い改変が行われていた。
原作であゆがたい焼きを盗んだ理由は「お金を払おうと思っていたのに財布がなかった」からだった。ありえない。「こいつヤバい」とプレイヤーは誰もが思う。そしてそのあゆの奇怪さが神秘性に反転していく。やがてはその最初の「普通じゃない」出会いが、「特別な女の子」との「特別な出会い」に変化していく。
それが京アニ版だとどうだろう。
「犬が来てびっくりして逃げちゃった」などと著しく健常者にされてしまっている。これじゃ台無しだ。あゆは異常者でなければならない。
さして思い入れのないあゆについてでさえ怒りが湧くのだから、これからどうなってしまうのかわからない。京アニは素晴らしい作品を作ってきたと思う*4。でもこればかりは許せない。