20230910

園子温冷たい熱帯魚』みた

殺人鬼夫婦に恫喝と暴力で支配されて殺人に協力させられる男の話。恫喝シーンはこうやってアメとムチを使い分けるんだなあと思いながら見てた。人がパワハラしてるの見ると自分もパワハラしたくなっちゃうんだよね。主人公社本も殺人鬼村田に支配されるうちに村田のもつ暴力性に惹かれていくように、やっぱり人を思い通りにしたいっていう衝動は根っこの部分ではあるんだよね。僕なんかはまさにそうで小さいころからいじめられて人の顔色をうかがう癖がついちゃって、怒られないように傷つけないようにと思ってこれまで生きてきたわけだよね。別にその生き方を身に着けてきたことがまちがいとは思ってないけど、ときどき、パワハラしてる人を見るとこんな風に人を思うがままに支配出来たらと、思う瞬間がある。そんな心の奥底にある支配への渇望を刺激される映画だった。

暴力性のある男はモテる理論

「暴力性のある男がモテる」理論が一部の男性からは正しいようにみえてしまうのも、その人の暴力性への憧れから来てる部分があるんじゃないかなあ。僕もときどき、やっぱり暴力性なんすかねって思う瞬間あるもん。実際のところは、暴力性があるから人の気持ちを考えず手当たり次第にアプローチしまくる。たくさんアプローチしてるから誰かと付き合える。彼女がいるとモテているようにみえる。という因果関係が真実に近いと思うんだけどね。わりとみんな同じこと言ってるけど。人の気持ちをいちいち考えてたら、友達はできるかもしれないけど、自分のことを運よくむこうから好きになってくれる人としか付き合えないからね。人の気持ちをいったん考えず、アプローチを続けるというのがある程度は、結局モテるためには大事なんだろうね。僕から見ると同時並行で複数の人にアプローチしてる人意味わからないし、誠実さのかけらもないと思っちゃうんだけど、そういう人の方が彼女できるっていうのも納得はできるよね。僕はそれよりも、人に対して誠実であることを大事にしたいなあ。あと、この人しかダメなんだって気持ちを大事にしたい。いや、彼女できたことは別にないんですけど……。いい人ぶってしまったけど、所詮童貞の理想論だって自分でも気づいてるよ。僕みたいなのが付き合いだしたら不義理を働きまくるってケースもあるらしいし。

 

僕はあんまりパートナーって言葉使いません

最近みんなパートナーって言葉使うじゃん?おそらく多様なジェンダーセクシュアリティをもっている人への配慮なんだけど、みてて思うのが、みんながみんなパートナーって言葉使ってると配慮されてる側の人の中には居心地悪い人もいるんじゃないかなあってこと。配慮されるのも嫌って理由かほかの理由なのかは知らんけど。ってこと考えるとなんかパートナーって言葉使いづらくてつい彼氏彼女になっちゃうね。逆張りなんだけど。たまにやむをえないときはパートナーって言うときもあるけどね。

文化資本

文化資本という言葉はフランスの社会学ブルデューが提唱した概念だが、ときおり、日本の話で文化資本なんて言葉を使うのは不適切だという人がいる。文化資本が本当に階級の再生産のメカニズムの需要な部分を担っているフランスはじめとするヨーロッパ諸国の社会と日本は全然違うのだと。

でも社会学的視点で考えるなら、文化資本という言葉が日本でリアリティをもって使われているという現実から出発する必要があるはずだ。どんな人たちが日本で文化資本の話をしたがるのか、彼らが文化資本という言葉を使う要因となった社会的背景はどんななのか。そのことを考えなければいけない。ヨーロッパ的な意味で再生産の役割を果たしているようにみえないからと言って日本で文化資本という言葉を使っているやつはバカだというという結論にするのは、それはそれでおかしいだろう。

たとえば、ホモソーシャルという言葉も、セジウィックが最初に使った時の意味と今多くのケースで使われているホモソーシャルの意味とは大きくかけ離れている。たとえば、今ここに、自分は「ホモソ」で辛い思いをしていると考えている人がいるとする。だからといって、そのコミュニティで男たちがみんな穴兄弟になって女の交換によってコミュニケーションを成り立たせているなんてことは考えづらいだろう。でも、その人が「ホモソ」に苦しめられているという認知は無視できないわけで、そこでなんで「ホモソ」という言葉が選択されているかを含めてちゃんと考える必要があると思う!

 

明日から筒井淳也の集中講義

毎日1限からなんだよね。すごく楽しみだけど、寝ちゃいそうで不安だ。