学マス、エンドクレジットに「倫理表現」という役職があるの、時代性を感じる。 pic.twitter.com/Q5ugc3Ce0p
— 三崎律日 (@i_kaseki) 2024年6月15日
度し難いツイートを見かけた。
倫理表現!
ようは人の顔色伺いにこんなにたくさんの人と金をかけてますってことか。
そんなものが面白いはずがない。
本当は面白いと思う人も多いかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
この僕を感動させられるはずがない。
どうせ「いじめみたいな暗い話題はこの頃センシティブですから……」とか「やっぱりミ●スの件もありますから猿を登場させるのはどうかと……」とかやってるのだろうが……。
いや違うか。
あとあとになって、「ライターのやりたいことを汲み取りつつ、"倫理表現"も実現したスペシャリストたち」みたいなタイトルでもつけて記事でも出すのだろう。仕組んだやつが賢ければそこまで考えてる。
いずれにせよ、癪に障る話だ。
少数者に寄り添う物語っていうのは! ちゃんとわかってあげられる人が一人いればそれで十分なんだよ。六人もいらない。一人の判断だと不安だから六人もつけてるんだろ。わかるよ。でもやっぱりそれってもうそういうことじゃん。「寄り添う物語を作ろう」じゃなくて「炎上を避けよう」ってことでしょ。
少数者に寄り添う物語はたいていは尖ってる。決して多数派に届くものじゃないんだ。天下のアイマス様を作ってる人たちがそんなこと考えてるわけないもんな。
少なくとも僕はそんなものにお金をかけてる物語に触れたいとは思わない。断言するよ。そこにほんとうのことは書いてない。
"倫理表現"をどうせ考えるなら、人が一生懸命考えて考えて少数者に真剣に寄り添った物語が読みたい。別に一人で作らなくてもいいんだ。一人で考えて作ってもいいし、みんなで考えて作ってもいい。
この記事燃えそうだからここでは書かないけどさ、そういう話いっぱい知ってるよ。すげえよ、やっぱりそういうの書ける人は。本当に難しいと思うもん。僕だって発達障害とか鬱とか、もっと苦しいハンデを背負ってる人はいっぱいいるかもしれないけど、いろいろあるよ。そういう物語に支えられてここまで生きてきたんだよ。
悲しい。そういう世の中なんだなって思うから。差別表現を避けようって言うけど、それって差別から逃げてるのに見えちゃうんだよね。だっていくら「差別表現だ!」って盛大に燃えて大騒ぎになっても、世間の人は「そういうご時世だから」で済ませるじゃん。ポリコレをよく思ってない人だっていっぱいいるよ。昨今の性加害問題だって、いつもいつも被害者の側めちゃくちゃ叩かれてるじゃん。もっと世間の人が被害者に寄り添うべきだって思うよ。告発したってことはそれだけの理由があるってことだろ。でも現実の人間はそうじゃないんだ。こんなんじゃ、誰も幸せにならないよ!
世間に、社会に、世界に、絶望する。
何が「倫理表現」だよ!
誰も本当に人を思いやる気なんかないくせに!
馬鹿にしてんじゃねえよ!